THE LEADS ASIAは2023年1月にNPO法人Wake Up Japanと共催で「知覧平和プログラム」を実施しました。鹿児島県南九州市にある知覧特攻平和会館を訪れ、参加者と平和について再考する学習機会を設けました。
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“舞”からたどる、日中韓のからだ・こころ・たましい ーー「東アジア文化都市」事業参加報告
TLAは日中韓三国協力事務所(TCS)主催の「東アジア文化都市 メディア&インフルエンサーツアー」に日本代表の組織として選出され、共同代表の神山が4月19日から10日間にわたり日中韓の3都市を巡りました。
今回の歴訪を通じて浮き彫りとなった文化的共通項を基に、「”舞”からたどる、日中韓のからだ・こころ・たましい」シリーズと題して、東アジアのルーツを持つ身体性を活かすコンテンポラリーダンスシーンに着目し独自のインタビューを実施。古より鍛錬されてきた、身体が魂やことばと繋がる実践としての「舞」を通じて、東アジア3カ国が持つ根源的なつながりを探ります。
Let It Dance: A Japanese Dancer Countering Stigma With Personal Memories in WW2 Manchuria
10月27-29日、ドイツ・ベルリンの劇場で、旧満州へ渡った日本赤十字看護婦にまつわるダンス作品が上演された。制作・主演の朶恵さんは2025年の終戦80周年を見据え、個人の体験や語られなかった声をすくいあげてストーリーに紡ぐプロジェクトをしている。
タブーを破ってゆけるのは、個人の記憶だけ。旧満州へ渡った従軍看護師の体験をめぐる舞台「Please Cry」
10月27-29日、ドイツ・ベルリンの劇場で、旧満州へ渡った日本赤十字看護婦にまつわるダンス作品が上演された。制作・主演の朶恵さんは2025年の終戦80周年を見据え、個人の体験や語られなかった声をすくいあげてストーリーに紡ぐプロジェクトをしている。
コロナ禍で失われる相互理解の機会――浮き彫りとなった国境の見えない「壁」
国境とはもともと、人の手によって造られたもの。皮肉にも、それがむしろ浮き彫りになった原因はパンデミックという「トランスナショナル(越境的)」な問題でした。Covid-19の蔓延で国境が封鎖し、現地に渡ることなく大学院留学を修了する筆者が、その影響をつづります。
人が人の痛みを見つめ、祈るとき、そこに国境はあるのかーー三池炭坑を日韓のZ世代が歩いてみた②
記憶にある特定の意味づけがされるとき、その想いは誰のものを反映しているのかーー。 2015年に世界文化遺産に登録された”記憶の有形物”である福岡県南部・大牟田に位置する三池炭鉱を訪ね、普段問われることのない「歴史の意味づけ」を日韓のメンバーがひもときながら歩く、このシリーズ。 第一弾の記事では、巨大な資本主義国家へと舵を切ろうとしていた明治時代の日本において、囚人や植民地出身者など社会的に周縁化された人々が危険な労働に従事し国家の根幹産業を支えるという、現代にも連続する構図が明らかに。 今回は日本の外に目を向け、文化遺産登録をめぐり度々政治問題化される争点と、市民の協働が持つ可能性について、実際に市民の協力によって建てられた記念碑を巡る中で探ります。 「それぞれが見ている歴史」「一緒に見たい未来」をすり合わせていく 炭坑での仕事は危険な重労働であることに加え、主な労働力として囚人が多く動員されたことから偏見を持たれる職業でもあった(前回の記事参照)。産業が巨大化していくにつれて国内で供給できなくなった労働力を補うため、朝鮮、中国、そして第二次世界大戦以降は連合国軍の捕虜が動員されていった。 2015年の世界遺産登録の際に議論の的となったのは、この「強制労働」があったのか否か、という点。日本政府は公式に、東アジアの各地から「自らの意思に反して(against their will)」労働者が動員され、「強制的に労役(forced to work)」させられた事実があったことについては認めている。 しかし、2020年6月に公開された東京の産業遺産情報センターには、朝鮮人の強制労働を否定する内容の証言や資料が展示され、国内外から批判を浴びた。 ユネスコの国際記念物遺跡会議共同調査団は翌月の12日、産業革命遺産の紹介が朝鮮半島出身者の強制動員問題を事実上否定しているという内容の報告書を公開。センターの展示内容について「被害者側からの視点が欠けている」と指摘した。 一方、韓国・ソウルの植民地歴史博物館では7月16日から11月7日まで、韓国の民族問題研究所が日帝強制動員被害者支援財団と共催する展示会「被害者の声を記憶せよ!強制動員の歴史を展示せよ!」が開催される。 展示では国内初公開となる長崎の高島炭鉱、福岡県の三池炭鉱の強制動員被害者の証言映像のほか、帝国日本による植民地時代に強制動員された被害者19名の証言映像が公開されているという。 韓国の民族問題研究所は展示会の開幕に合わせて声明を出し、「強制労働の真実を明らかにするために努力してきた韓国と日本の市民は、世界遺産委員会が公開した勧告を支持し、歓迎の意を表する」としている。 「ファンクラブ」藤木さんと共に。垣間見えた、市民レベルの可能性 強制労働を巡って政治的に対立するこの問題も、結局は1人ひとりの人間が理不尽に苦しめられ、悩み、傷ついた記憶をどう扱うのかという問いに終始する。そこには、イデオロギーもハイレベルな外交の議論も必要ないはずだ。 では「強制労働」の非人道性は、記憶の遺産が残る地方の自治体や、住民たちなどの市民レベルではどう扱われているのか。 「NPO法人 大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ(略称:ファンクラブ)」の代表・藤木雄二さんが、大牟田の街に残るその手がかりを教えてくれた。 まず私たちが向かったのは大牟田市馬渡第一公園。 ここには、1997年に建立された朝鮮人強制連行碑がある。三井三池に強制連行された朝鮮人の一部が暮らしていた馬渡の施設の押し入れの中に書かれた文字が後の調査で発見され、のちに碑として利用されるに至ったのだという。 建立文に記されている内容は以下の通りだ。* 「第二次世界大戦中大牟田の三池炭鉱に朝鮮から数千名の朝鮮人が強制連行され過酷な労働を強いられた。そのうち約二百余名の朝鮮人が「馬渡社宅に」に収容されていた。 馬渡社宅の51棟の押入に彼らの望郷の念がこめられた壁書が1989年に訪れた強制連行の歴史を学ぶグループにより発見された。 戦時中とはいえ朝鮮人に多大な犠牲をもたらし、さらに犠牲者の痛みを思う時ふたたびこのような行為をくり返してはならない。 そこで、この地に「壁書」を復元することによって戦争の悲惨、平和の尊さを次の世代に語り継ぐため、この記念碑を建立するものである。 1997年2月 大牟田市 *この建物自体は現在すでに取り壊されているため、文字のみ大牟田市の石炭産業科学館に保管されている。 強制連行の非人道性を認めない日本政府。「同じ過ちを犯さない」と明確に誓い、平和を次世代に継承しようとする大牟田市。両者の姿勢の違いに驚かされた。 国家、権力、利害などが複雑に絡み合い、巨大化して人の顔をしていない主体ではなく、いまを生きる人たちの集まる「顔の見える場」としての地方自治体、市民のレベルだからこそできる、未来に向けた関係構築の余白部分が垣間見えたようにも感じる。 住職みずから、慰霊碑建立に奔走した 次に訪れたのは熊本県荒尾市の正法寺。1972年、三井三池での強制連行被害者を追悼する碑が二基建立された。一基は朝鮮人、もう一基は中国人を追悼するためのものだ。 正法寺に存在する朝鮮人追悼の碑は「不二之塔」と呼ばれ、過酷な労働の中で命を落としたすべての朝鮮人の慰霊とともに、冷戦後も断絶が続く南北朝鮮の統一への想いも込められている。 また「中国人殉難者慰霊碑」は殉難への哀悼に加えて、建てられた1972年にちなみ日中の国交回復に込める両国関係への期待も込められているという。 この建立に奔走したのが、正法寺の赤星住職だ。 赤星住職は、まだ中国と日本の国交が無い時期から塔の建立費を集めるために3年間にわたって托鉢を続け、自力で総額35万円を集めることに成功したと以前のインタビューで語っている。人々の供養の気持ちを集めることを一番に考え、あえて托鉢という形式をとったのだという。 ・参考:赤星住職へのインタビュー記事 みずから進んで困難を引き受けてきた住職だからこそ、一言一言の重さが胸に響く。 お話を聴きながら、こうして地域の人々の手によって過去への償い、そして未来への警鐘が確実に受け継がれていることに、とめどない感謝の想いが溢れてきた。 一部の人に任せっきりにするのではなく、もっと多くの人たちが協働していけるのではないだろうか… 「私たちはいかにこの歴史と向き合い、懸命な活動を受け継いでいくべきなのだろう」。地元の皆さんの活動に感銘を受けると同時に、今を生きる責任をひしひしと感じて、武者震いする時間となった。 「悲しみは国境を越える」史上最悪の日中関係の中で繋がった想い 宮浦石炭公園にも、日本中国友好協会が建立した追悼碑が建っている。 碑文によると三井三池炭鉱には2481名の中国人が連行され、そのうち635名が死亡したという。宮浦抗に至っては、54名中44名が無くなっており、労働環境の劣悪さが明白だ。 慰霊碑は比較的新しく、2013年に建立されたばかりだ。前年での2012年は領土問題など日中関係を刺激する出来事が重なり、二カ国関係は戦後最悪とも言われた年。 しかしあくまでそれは、国と国との話。日本と中国の人々の協力によってその時期にこの碑の建立がされたことに想いを馳せると、市民どうしの繋がりは政治に左右される必要がまったくないこと、そしてその可能性に改めて気づかされる。 皆の想いが詰まった碑だからこそ、かけがえのない意味が生まれた 最後に訪れたのは大牟田市の甘木公園。ここでは毎年慰霊祭が開催されている。 ・慰霊祭の参考記事はこちら 甘木公園には「徴用犠牲者慰霊塔」があり、韓国語で記された碑文もある。これは在日コリア大牟田の人々の呼びかけで大牟田市、3つの企業(三井石炭鉱業株式会社三池鉱業所、三井東圧化学株式会社大牟田工業所、電気化学工業株式会社大牟田工場)、そして市民が協力する形で1995年に建立された。 慰霊碑は今も朝鮮半島の方を向き、誇らしげに建っている。 今回私達は藤木さんのご協力のもと、この慰霊塔建立の立役者であり、在日コリア大牟田代表の禹判根(ウ・パングン)さんにお話をきくことができた。 徴用で連れてこられた仲間が炭坑で命を落としたという話を知人から聞いた経験をきっかけに、禹さんは慰霊碑の建立のために動き始めた。Continue reading “人が人の痛みを見つめ、祈るとき、そこに国境はあるのかーー三池炭坑を日韓のZ世代が歩いてみた②”
Deconstructing the Politicized Emotions–Local citizen’s cooperations for the “dark legacy” in East Asia
When a certain memory is given a historical meaning, a question remains; who are the ones creating this idea of memory “worthy of remembering” ? In this series, members from Japan and Korea visit the “tangible object of memories” in Miike Coal Mine in Omuta, situated in southern Fukuoka Prefecture, which was registered as aContinue reading “Deconstructing the Politicized Emotions–Local citizen’s cooperations for the “dark legacy” in East Asia”