Let It Dance: A Japanese Dancer Countering Stigma With Personal Memories in WW2 Manchuria

10月27-29日、ドイツ・ベルリンの劇場で、旧満州へ渡った日本赤十字看護婦にまつわるダンス作品が上演された。制作・主演の朶恵さんは2025年の終戦80周年を見据え、個人の体験や語られなかった声をすくいあげてストーリーに紡ぐプロジェクトをしている。

タブーを破ってゆけるのは、個人の記憶だけ。旧満州へ渡った従軍看護師の体験をめぐる舞台「Please Cry」

10月27-29日、ドイツ・ベルリンの劇場で、旧満州へ渡った日本赤十字看護婦にまつわるダンス作品が上演された。制作・主演の朶恵さんは2025年の終戦80周年を見据え、個人の体験や語られなかった声をすくいあげてストーリーに紡ぐプロジェクトをしている。

抵制社交媒体上的仇外心理与厌女症: 基于日本和德国的观察

翻译: 郭雨辰采访: 周礼旻撰文: 林沁彤, 神山馨 透视日本政坛的赛博厌女现象 8月28日,日本政治史上时间执政时间最长的政府终于宣告结束。 作为任职时间最长的领导人,安倍晋三(Shinzo Abe)列举了他不断恶化的健康状况等理由提前终止了任期。 广为流传他长期受溃疡性结肠炎困扰,他前一次任期也同样是以此为离职理由。这一消息收到的反响各异。 许多人都对他的状况产生了富有同情的关注,如鹤野刚士等公众人物在推特上对这位首相表达的赞扬。然而,也有些人对他离职背后的政治动机表示怀疑,尤其是在口罩分发等新冠应对措施广受谴责,对于检察官丑闻、森友学园事件等的应对举措引发强烈不满的背景下。 立宪民主党女政治家石垣纪子(Noriko Ishigaki)在安倍辞职当天在推特上提到安倍晋三是“一位糟糕的危机管理者,习惯性地在关键时刻搞砸自己的身体”。她的一连串推文遭到大量批评,许多人呼吁收回这些言论并道歉。 后来,石垣在Twitter上进一步阐述了她的观点,但并不令人意外地,同样遭到了批评。 这些批评很快病毒式传播,带上她的名字和“#我要求石垣纪子代表辞职”的话题标签,呼吁她辞职的讯息在推特整天挂在日本热搜趋势上。也有包括演员松尾隆在内的其他知名人士,在《每日新闻》上撰写了专栏,以及编剧町山智久也同样在社交媒体上表达了自己的不赞同。然而,石垣纪子所受到的批评的程度显然与其他发表过类似言论的人不同,她的第一条推特就屡遭到单独的批评,尽管她后来发文列举安倍政府在过去7年中所犯下种种可能存在违宪的罪行来进行解释。 “我不想在日本当女政治家,”目前在德国埃尔兰根-纽伦堡大学任教的政治学家和日本学家费边-舍费尔教授笑着说。 他最初接触日本文化是他在政治学本科时通过在枥木县的寄宿家庭,这激发了他对日本研究的热情。最近,他与人合著了一项研究,将网络空间对日本在野党女性政治家的言语攻击可视化,认为其严厉程度和攻击频率远高于针对男性、尤其是执政的自民党政治家。 日本的政治格局总体上仍然是以男性为主,众多因素使女性难以在政治上保持成功(Miura, 2017)。此外,道尔顿(2015,2017)曾对日本女性政客的性骚扰进行了深入研究,其研究建立在对日本自由民主党(LDP)和日本民主党(DPJ)成员以及女权主义者联盟(Femiren)成员的访谈的基础上,研究认为,尽管性骚扰一直是当代日本政治中的一个持续问题,但很少公开地得到处理和解决:日本政治中女性所遭受的暴力是广泛而多样的,从性别歧视到沉默甚至是不必要的身体接触。然而,对妇女的骚扰很少被作为一个问题进行讨论,更不用说对妇女的暴力了——从这个意义上讲,它仍然是隐藏的。我认为,造成这种现象的原因之一是,在一种对女性进行性剥削是如此普遍的文化中,人们很难清楚地阐明什么构成了性骚扰。 (道尔顿2017,216) 在对女性的外表进行主题化处理(评论其外貌和着装方式)在日本仍然很普遍的同时,舍费尔博士也发现女性政治人物受到不断攻击的方式也主要基于其外表 ,而不是他们的政治议题。 “有趣的是,互联网上的极右派利用大量讽刺和新词,对女性政治家进行这种厌女的攻击。 他们创造了很多新词来攻击一个人,看上去似乎只是单纯的游戏或日语的“Neta”,而非性别歧视或某些政治意识形态。” 舍费尔教授补充说:“但是,这不应该被误以为只是开玩笑,因为它一方面它对遭受这种言语虐待的对象有伤害性,另一方面又在加重对性别歧视和厌女症的合理化。” 一个你可以任意贴到敌人身上的魔术标签 然而,当批评女性政客时,厌女似乎不是批评者唯一的武器。 另一种形式的歧视也经常发生。 例如,反对党的女政治家雷尼奥(Renho)因为拥有一半台湾和一半日本血统,她在性别和种族上都受到了攻击。 舍费尔博士说:“这就是我们所说的叠加歧视。” 舍费尔博士先前的论文《日本2014年大选:政治机器人,右翼互联网活动家和首相安倍晋三的隐藏民族主义议程》,讨论了互联网右翼分子如何将种族主义和仇外主义的话语 用作“框架桥梁”来攻击政治上反对派、或者仅仅是不喜欢的人。 ‘Hannichi(反日)’或 ‘Zainichi’(在日本的外国人:通常指韩国或中国后裔)的标签可以起到联系民族主义话语和某些政治观点的作用,作为“空洞的能指”(empty signifier)。 同样,在攻击女性政客时出现了“反日女权主义者”的论述。 除了因婚外情被言语攻击外,在我们的样本推文中,山尾还被指责为 “反日”(hannichi)。在这条推特中,山尾的名字和其他女政客一起出现,这些女政客不仅被指责为 “反日”,并且被形容为 “不漂亮”。 【推文大意】20180323_055341,@****:#抗日政客#仁和#仁和#津本清美#福岛瑞穗#山毛诗织 我不能说这些反日政客很美。 只是内心不如外在美。https://t.co/bXyIDulQ0O。. . . . . .20180323_055341,@****:#反日政客#仁和#津本清美。#福岛瑞穗#山尾千织不能真的说#反日女的。政治家都是漂亮的吧,正如人们所期待的那样,内忧外患,不是吗? “反日 “一词是日本网络右翼分子用来攻击政敌的行话的中心词,指控对方的行为“对抗”其本国人们—“日本人”。这是本土主义者和右翼民粹主义者非常常见的修辞策略,他们可以据此将自己定位为唯一一个专门代表 “人民”并为其说话的人。换句话说,山尾和这条推特中标签中的其他女性政客一起,被公开驱逐出 “日本人”这个民族共同体。此外,推特中的链接还涉及到另一条推特,上面有这四位政客非常不雅的照片。因此,这些女政客不仅因为她们所谓的 “反日”态度而受到攻击,而且还因为日本女性经常被评头论足的东西,即她们的外貌而受到攻击。 (Tamara Fuchs, Fabian Schafer “Normalizing misogyny: hate speech and verbal abuse of female politiciansContinue reading “抵制社交媒体上的仇外心理与厌女症: 基于日本和德国的观察”

SNS에서 넘치는 여성 차별과 혐오 발언. 근원을 좇아서 살펴보는 일본과 독일의 사례 (상)

번역: 박주미인터뷰: 슈 리이민편집: 임베어트릭스, 고우야마 카오리 트위터로 보는 정치와 여성차별 8월 28일, 아베 수상이 건강 상태의 악화를 이유로 사퇴해서 최장기 정권이 드디어 종지부를 찍었다. 그 퇴진에 대한 반응은 다양했다. 예를 들어 츠루노 타케시와 같은 탤런트가 전 수상을 칭송하는 트위터가 6만개의 리트윗과 22만개의 좋아요를 획득했는가 하면, 반대로 마이니치 신문에 기고한 배우 마쓰오 타카시와 각본가 마치야마 토모히로등의 저명인은 SNS상에서 아베 수상 퇴임의 정치적 동기에Continue reading “SNS에서 넘치는 여성 차별과 혐오 발언. 근원을 좇아서 살펴보는 일본과 독일의 사례 (상)”

SNS上に溢れる、女性差別や人種ヘイト。日本とドイツの事例から、根源をたどる(上)

SNS上やインターネットにおけるヘイトや誹謗中傷。政治家やジャーナリストだけでなく一般人も、野放しの批判の対象にされるか分かりません。

今回は、日本政治界における女性議員に対してSNS上において展開される攻撃の言論を解析し、「フレーム架橋」の概念で説明をしたドイツ・エアランゲン=ニュルンベルク大学の教授ファビアン・シェーファー氏にインタビューしました。

これら過激な根源にあるのは一体何なのか?私たち市民ができることとは?

「この現象を考えるには、過激な差別的言論が表出化する何十年も前から深く歴史に根付いている、構造的な理由を鑑みる必要があります」と語る教授に、ヨーロッパとアジアで大きく異なった戦後の国際政治上の事情と現代社会との繋がりについてお話を聞きました。

上下版でお届けします。

現代社会の「余白」にこそ、芸術と倫理を。世界的指揮者ジェイソン・ライが考える学びのあり方

2020年7月29日 | Expert Interview   オンライン教育の是非が問われる昨今。そもそも、大量の労働力を生み出すために産業革命時代に確立された統一型・詰め込み型教育は、現代社会にとって本当に必要なのか?コミュニティ形成など学校の社会福祉的な役割は、デイケアセンターとはどう違う?子どもたちの自己実現に本当に要されるサポートとは?様々な疑問が浮かんできます。   このモヤモヤをぶつけるために、英国出身の音楽家、ジェイソン・ライさんにインタビューしました。ヨーロッパやアジアの楽団を中心に指揮者として活躍する傍ら、BBCの国際的なTVプログラムにも出演し垣根を超えて精力的に活動。ライフコーチとしての資格も有し、悩める人々の声を聴き導く活動もしています。    オックスフォード大学卒業生、ユース音楽家コンクールチャンピオン、世界をまたにかける指揮者としてのキャリア…一見、順風満帆な人生を送ってきたように見えるマエストロ。  「『知恵は共有しないと腐っていく』という言葉がありますが、本当にそうだと思います。このようなインタビューでは私の少しの知恵でも共有できるので嬉しいです。」そんな謙虚な彼が語ったのは、意外な過去でした。 「苦い経験」があってこそ、目標のその先へ到達できる 幼少期はあくまで「普通の子ども」でした。同級生の大半と同じように、何を目指していいのかわからなかった。でも、10歳で音楽に出会ったことが転機になりました。始めた時にすぐ「人生でやりたいことはこれだ」と直感的に思いました。    音楽専門高校で過ごした3年間は最高の時間でした。幼少期はイギリスで人種差別で傷つくこともありましたが、その学校は生徒のバックグラウンドは一切関係なく、純粋に演奏のスキルで選抜した生徒に音楽家として必要な能力をつけさせ、全力でサポートする素晴らしい学校でした。    反対に、進学先のオックスフォード大学で過ごした4年間は、なかなか思っていたようにはいきませんでした。大学のせいではなく、自分のせい。環境にあまり馴染めず、インポスター症候群に再びかかってしまったのです。これは小学校時代のあるエピソードが影響して、今に至るまでずっと残っています。  6歳で小学校一年生になったときは、みんな平等でした。2年目からはランク付けが始まり、私は頭のいい子や能力のあるとされた子たちが集まる最上クラスで学ぶことになりました。正直、ちょっと誇らしかった。でもその一年後、一つ下のBクラスへ格下げされてしまったんです。  両親宛てに送られてきた学校からの手紙を一生懸命読んだのを今でも覚えています。なぜ格下げされなくてはならなかったのか。そこには「ジェイソンは少し自信が足りません。Bクラスで様々なスキルを身につける必要があると判断しました。」と書いてありました。恥ずかしくて、情けなくて。自分は不十分な人間だと感じました。  4年目もBクラスのまま。でも新学期を前に、自分に言い聞かせたのを覚えています。「もしBクラスにいるなら、Bクラスで一番になって、周りの人を助けよう」と。  それからはわざと毎回誰よりも先に課題を終わらせて、他の子たちの手助けをするようになりました。早く終えようとすると間違いばかりしてしまうのであまり良いことではなかったかも知れませんが。    この経験があったからこそ、私は自分の存在意義や能力を世界に認めてもらおうとして必死に誰よりもひたむきに頑張ってこられたのかも知れません。このような想い出があると、人は「成功者で、知的で魅力的になりたい」などの目標を超えて、もう少し先まで自分を追い込むことができるんじゃないかな、と思います。 両親から教わった倫理観、成績のためではない探究心の大切さ 「教育は将来の成功への鍵だ」と多くの人は言うかもしれません。でも私は、むしろ教育とは自分自身をよりよく理解し、世界との交流を始めるための鍵だと考えています。数学と英語を学ぶことだけが将来の成功につながるというのは、実はとても視野の狭い考えです。   私たちは皆それぞれ異なる才能や強みを持っているし、教育にはあらゆる形が可能であるべきです。年齢で決めた特定の基準をすべての人に求めることは、時に人を破壊することもある。素晴らしい学校とは個性や能力、情熱を最大限に尊重し伸ばしてあげられる学校のことだと思います。     チベットの指導者ダライ・ラマは、倫理や道徳こそ学校教育で重点的に教えられるべきであると説いています。現代の社会では、目標達成やゴールへの到達、「何者になるか」の方が道徳面における成熟度よりも大切であるかのように語られる傾向にあると感じます。『外の世界は弱肉強食の危険なジャングルだ、強くならなければ人生に失敗する』という子どもへのメッセージは、私はあまり健全だと思いません。  低年齢の子どもに必要なのは物事をのびのび探求する能力と、それを安心してできる心理的なセーフ・スペース(安心領域)を確保してあげることだと思います。もし仮に、両親から「成績を上げろ」と常に脅されて育てば、自由な探索は出来っこありません。そうなると子どもたちは学習ロボットのようなもので、事実を並べ替えるためだけに勉強をすることになる。これでは実際には何も学んでいないのと同然です。   子ども時代、両親の影響を強く受けて育ちました。英語すらあまり知らないまま香港からイギリスへ移住した両親は、私たちを育てるために毎日身を粉にして働いていました。知り合いも親族もおらず言葉や文化も分からない中でゼロから何かを作り上げることがどれほど大変なことなのか、想像も出来ません。  自分たちの苦労の経験からか、両親はいつも困っている人を率先して助けていました。彼らの謙虚に努力を続ける姿勢と倫理観を、私は今まで忘れたことはありません。  もし学校を再編するとしたら、まず最初に成績制度を廃止します。それか、全員に無条件でAをあげる。そうすれば、自分がなぜ最高評価に値するのか考えて行動するようになるでしょう。また年齢に固定的ではなく、一人一人のペースにあった学びをできるようにする。そして、数学や英語を学ぶのと同じように、道徳の教育に力を入れたいです。 芸術は現実世界と心をつなぐ「人生の詩」 今年7月、シンガポールで「社会で最も必要とされていない仕事」に関する調査結果が発表されました。そこでは7割近くの人が「芸術家が最も不必要な仕事である」と回答したという衝撃的な結果に。でも、世界中が先の読めない不安な日々を余儀なくされる中で、人々は読書をしたり、映画を見たり、音楽を楽しんだりしていますよね。これらは、全て芸術です。こうした「ステイホーム期間」の人々の行動は、芸術への過小評価に疑問を投げかけるものだと感じます。     芸術や文化の本質的な役割は、心や感性を養うこと。 合理性や権力、お金への飢えが蔓延るこの世界で、私達は人生で大切なことが何なのかを忘れてしまいがちです。子どもを養わなければならないし、ガス代や水道代のために毎日働く必要がある。でも、そんな多忙な日々を過ごした中で残るものとは何でしょうか?私は、その人生の「余白」を埋められるのは文化や芸術を通じた感動体験だと考えています。  私自身、今まで詩という芸術をあまり好んだことはありませんでした。でも最近になって、その美しさや重要性を理解できるようになりました。詩は、世の中で上手く言い表わすことのできない思いや感情を的確に表現することができる。たった一行で、世界中を動かすことだってできるのが詩です。  同じように芸術や文化とは、目に見えない、あるいは多忙な生活の中で人が見ようとしていない世界の側面を見せてくれる、人生の詩だと思うのです。    小さな頃、読み聞かせが大好きでした。子どもはお話を聞くと、自分がその場所にいるかのように想像を膨らませます。想像力は権力やお金、締め切り、株主を喜ばせることだけを考える現実世界と理想の世界とのギャップを埋める、大切な能力です。  だからこそ、倫理と道徳に加えて芸術教育が大切なのだと思っています。 自分の存在自体が価値であることを簡単に忘れてしまう世界だから 様々な種類があるコーチングですが、私はディベロプメントコーチングとインテグラルコーチングを行なっています。答えを与えて解決策を提示しようとするものではなく、セッションを通じて、相談者が自分自身を深く見つめ、問題の根底に何があるのかを見極めることを促すのがコーチングです。多くの場合、相談者の問題はアドバイスをして改善するようなものではなく、もっと奥深く根を張っている。      表出している問題というのは、あくまで氷山の一角に過ぎません。例えば、仕事で昇進できないことに不満を感じている相談者がいるとしましょう。会話を重ねるうちに、実はその人が本当に欲しているのは昇進そのものではなく、自分の成功を世界に示すことにあると判るかもしれない。では、なぜこの必要性を感じるのかをご本人に探ってもらいます。このセッションのゴールは決して「昇進を諦めよう」という結論に達することではなく、自分が感じている感情の正体や理由を深く知ることで、自分の意志に自分で納得することにあるのです。    このようなコーチングは、とてもやりがいがあります。相手に質問する時、自分自身に対しても今までの感情や失敗などを問いかけることになるので、より深く物事を考えられるようになるからです。      相談者の前に座って話を聞くのは、特別な時間です。悲劇的な話もあれば、感動的な話もある。でもそれぞれの話に独自の価値があるし、その人自身の価値が反映されている話をしてもらえる瞬間は、本当に光栄だと感じます。  人は自分の価値がどのように世界を助けているのかや、自分が価値そのものであることをすごく忘れやすい。この盲点に気づかせてあげる存在がコーチだと思っています。   リーダーに必要なのは、好奇心を持って耳を傾けること。 聴くことの持つ力を見くびってはいけません。指揮をする上でも、コーチングをする上でも同じです。オーケストラは聴衆だけでなく指揮者にも耳を傾けられていると感じると「自分たちは理解されている」と思い、より一層素晴らしい演奏をしてくれます。  演奏方法をマスターしたプロたちなので、必要なのは鼓舞してくれる存在だけなんです。何をすべきか逐一教える必要はありません。きちんと聴くことは、指揮者として信頼関係を築くためのもっとも大事な要素だと思っています。     オーケストラは世界の縮図です。誰もが異なる考えや価値観を持つ世界の中で、リーダーとしてすべての人を満足させることはできない。一人の音楽家が何かを要求しているその瞬間に、別の音楽家は逆を要求する。だから最終的にリーダーは決断しなければなりません。でも、最善の決断をするために最低限できることは「聴く」ことです。心を開き、好奇心を持って、誠心誠意相手の意見を聴く。       同様に、コーチをする際も聴くことの力を実感します。きちんと誰かに耳を傾けてもらったことがない相談者は、自分の話を聴いてもらうという体験だけで深く感動します。一見単純な行為に見えることが、実は人々を癒す力も持っているのです。     自分にとってすごくすごく困難で、他の誰にも話したことがないような内容を相談者が話してくれるとき、しばらくお互いに何も言えない時があります。そんな時できるのは、彼らの心に浮かんでいる想いを全て表現できるまで静かに待って、じっと耳を傾けることです。 いつも初心で、心を込めて真摯に向き合う。それが一番の学び  メンター(助言者)は成長の過程で欠かせない存在です。でも残念なことに若い頃の私は、メンターが必要だと認められなかった。自分の純粋な好奇心で始めた探索がいつしか、「自分は誰から指導されなくてもやっていける」とエゴやナルシシズムを甘やかす主体になってしまっていたのです。  私は長い間、鈴木のいう「専門家の心」を持っているふりをすることで、自分で自分の可能性を狭めてしまっていた気がします。  初心者の心には多くの可能性があります。しかし専門家といわれる人の心には、それはほとんどありません。鈴木俊隆著「禅マインド ビギナーズ・マインド」プロローグより    メンターはいなかったけれど、コリン・デイヴィスなどの知恵に満ちた素晴らしい指揮者から「ソウル・アドバイス(真に迫る助言)」を受けました。    コリン・デイヴィスは本当に素晴らしく、温かい人でした。彼が音楽を学んだ50~60年代、指揮の世界では「私がいうことは絶対だ」という音楽の全体主義的なアプローチが主流でした。例に漏れずそのように振る舞っていたその頃の自分を思い出すと恐ろしい、と語っていた彼の姿は印象的でした。Continue reading “現代社会の「余白」にこそ、芸術と倫理を。世界的指揮者ジェイソン・ライが考える学びのあり方”

Arts and Culture Are to Feed Your Soul: What Education Means to a Maestro

During our last discussion on Dialogue 4.0, educators and students from all over Asia shared each country’s situation regarding schooling under the Covid-19, discussed and talked about the ongoing “Online or Offline” debate, positive and negative sides that new methods would have.

In the end, the very definition of public education, originally structured with the rise of industrialization, came into question by the participants: Is it still relevant to the world we live in today? What is the essential role of public schools besides teaching math and English? How can schools assist kids to lead them to the life they desire?

To give an answer to these open-questions, we conducted an interview with a Principal Conductor of the Conservatory Orchestra at the Yong Siew Toh Conservatory of Music, and a dedicated Life Coach guiding people to find their own path in life.

Jason Lai, with his rich life experiences shared with us the profound meaning of education and how life itself can also be a great teacher.

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