人が人の痛みを見つめ、祈るとき、そこに国境はあるのかーー三池炭坑を日韓のZ世代が歩いてみた②

記憶にある特定の意味づけがされるとき、その想いは誰のものを反映しているのかーー。 2015年に世界文化遺産に登録された”記憶の有形物”である福岡県南部・大牟田に位置する三池炭鉱を訪ね、普段問われることのない「歴史の意味づけ」を日韓のメンバーがひもときながら歩く、このシリーズ。 第一弾の記事では、巨大な資本主義国家へと舵を切ろうとしていた明治時代の日本において、囚人や植民地出身者など社会的に周縁化された人々が危険な労働に従事し国家の根幹産業を支えるという、現代にも連続する構図が明らかに。 今回は日本の外に目を向け、文化遺産登録をめぐり度々政治問題化される争点と、市民の協働が持つ可能性について、実際に市民の協力によって建てられた記念碑を巡る中で探ります。 「それぞれが見ている歴史」「一緒に見たい未来」をすり合わせていく 炭坑での仕事は危険な重労働であることに加え、主な労働力として囚人が多く動員されたことから偏見を持たれる職業でもあった(前回の記事参照)。産業が巨大化していくにつれて国内で供給できなくなった労働力を補うため、朝鮮、中国、そして第二次世界大戦以降は連合国軍の捕虜が動員されていった。 2015年の世界遺産登録の際に議論の的となったのは、この「強制労働」があったのか否か、という点。日本政府は公式に、東アジアの各地から「自らの意思に反して(against their will)」労働者が動員され、「強制的に労役(forced to work)」させられた事実があったことについては認めている。 しかし、2020年6月に公開された東京の産業遺産情報センターには、朝鮮人の強制労働を否定する内容の証言や資料が展示され、国内外から批判を浴びた。 ユネスコの国際記念物遺跡会議共同調査団は翌月の12日、産業革命遺産の紹介が朝鮮半島出身者の強制動員問題を事実上否定しているという内容の報告書を公開。センターの展示内容について「被害者側からの視点が欠けている」と指摘した。 一方、韓国・ソウルの植民地歴史博物館では7月16日から11月7日まで、韓国の民族問題研究所が日帝強制動員被害者支援財団と共催する展示会「被害者の声を記憶せよ!強制動員の歴史を展示せよ!」が開催される。 展示では国内初公開となる長崎の高島炭鉱、福岡県の三池炭鉱の強制動員被害者の証言映像のほか、帝国日本による植民地時代に強制動員された被害者19名の証言映像が公開されているという。 韓国の民族問題研究所は展示会の開幕に合わせて声明を出し、「強制労働の真実を明らかにするために努力してきた韓国と日本の市民は、世界遺産委員会が公開した勧告を支持し、歓迎の意を表する」としている。 「ファンクラブ」藤木さんと共に。垣間見えた、市民レベルの可能性 強制労働を巡って政治的に対立するこの問題も、結局は1人ひとりの人間が理不尽に苦しめられ、悩み、傷ついた記憶をどう扱うのかという問いに終始する。そこには、イデオロギーもハイレベルな外交の議論も必要ないはずだ。 では「強制労働」の非人道性は、記憶の遺産が残る地方の自治体や、住民たちなどの市民レベルではどう扱われているのか。 「NPO法人 大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ(略称:ファンクラブ)」の代表・藤木雄二さんが、大牟田の街に残るその手がかりを教えてくれた。 まず私たちが向かったのは大牟田市馬渡第一公園。 ここには、1997年に建立された朝鮮人強制連行碑がある。三井三池に強制連行された朝鮮人の一部が暮らしていた馬渡の施設の押し入れの中に書かれた文字が後の調査で発見され、のちに碑として利用されるに至ったのだという。 建立文に記されている内容は以下の通りだ。* 「第二次世界大戦中大牟田の三池炭鉱に朝鮮から数千名の朝鮮人が強制連行され過酷な労働を強いられた。そのうち約二百余名の朝鮮人が「馬渡社宅に」に収容されていた。 馬渡社宅の51棟の押入に彼らの望郷の念がこめられた壁書が1989年に訪れた強制連行の歴史を学ぶグループにより発見された。 戦時中とはいえ朝鮮人に多大な犠牲をもたらし、さらに犠牲者の痛みを思う時ふたたびこのような行為をくり返してはならない。 そこで、この地に「壁書」を復元することによって戦争の悲惨、平和の尊さを次の世代に語り継ぐため、この記念碑を建立するものである。  1997年2月 大牟田市 *この建物自体は現在すでに取り壊されているため、文字のみ大牟田市の石炭産業科学館に保管されている。 強制連行の非人道性を認めない日本政府。「同じ過ちを犯さない」と明確に誓い、平和を次世代に継承しようとする大牟田市。両者の姿勢の違いに驚かされた。 国家、権力、利害などが複雑に絡み合い、巨大化して人の顔をしていない主体ではなく、いまを生きる人たちの集まる「顔の見える場」としての地方自治体、市民のレベルだからこそできる、未来に向けた関係構築の余白部分が垣間見えたようにも感じる。 住職みずから、慰霊碑建立に奔走した 次に訪れたのは熊本県荒尾市の正法寺。1972年、三井三池での強制連行被害者を追悼する碑が二基建立された。一基は朝鮮人、もう一基は中国人を追悼するためのものだ。 正法寺に存在する朝鮮人追悼の碑は「不二之塔」と呼ばれ、過酷な労働の中で命を落としたすべての朝鮮人の慰霊とともに、冷戦後も断絶が続く南北朝鮮の統一への想いも込められている。 また「中国人殉難者慰霊碑」は殉難への哀悼に加えて、建てられた1972年にちなみ日中の国交回復に込める両国関係への期待も込められているという。 この建立に奔走したのが、正法寺の赤星住職だ。 赤星住職は、まだ中国と日本の国交が無い時期から塔の建立費を集めるために3年間にわたって托鉢を続け、自力で総額35万円を集めることに成功したと以前のインタビューで語っている。人々の供養の気持ちを集めることを一番に考え、あえて托鉢という形式をとったのだという。 ・参考:赤星住職へのインタビュー記事 みずから進んで困難を引き受けてきた住職だからこそ、一言一言の重さが胸に響く。 お話を聴きながら、こうして地域の人々の手によって過去への償い、そして未来への警鐘が確実に受け継がれていることに、とめどない感謝の想いが溢れてきた。 一部の人に任せっきりにするのではなく、もっと多くの人たちが協働していけるのではないだろうか… 「私たちはいかにこの歴史と向き合い、懸命な活動を受け継いでいくべきなのだろう」。地元の皆さんの活動に感銘を受けると同時に、今を生きる責任をひしひしと感じて、武者震いする時間となった。 「悲しみは国境を越える」史上最悪の日中関係の中で繋がった想い 宮浦石炭公園にも、日本中国友好協会が建立した追悼碑が建っている。 碑文によると三井三池炭鉱には2481名の中国人が連行され、そのうち635名が死亡したという。宮浦抗に至っては、54名中44名が無くなっており、労働環境の劣悪さが明白だ。 慰霊碑は比較的新しく、2013年に建立されたばかりだ。前年での2012年は領土問題など日中関係を刺激する出来事が重なり、二カ国関係は戦後最悪とも言われた年。 しかしあくまでそれは、国と国との話。日本と中国の人々の協力によってその時期にこの碑の建立がされたことに想いを馳せると、市民どうしの繋がりは政治に左右される必要がまったくないこと、そしてその可能性に改めて気づかされる。 皆の想いが詰まった碑だからこそ、かけがえのない意味が生まれた 最後に訪れたのは大牟田市の甘木公園。ここでは毎年慰霊祭が開催されている。 ・慰霊祭の参考記事はこちら 甘木公園には「徴用犠牲者慰霊塔」があり、韓国語で記された碑文もある。これは在日コリア大牟田の人々の呼びかけで大牟田市、3つの企業(三井石炭鉱業株式会社三池鉱業所、三井東圧化学株式会社大牟田工業所、電気化学工業株式会社大牟田工場)、そして市民が協力する形で1995年に建立された。 慰霊碑は今も朝鮮半島の方を向き、誇らしげに建っている。 今回私達は藤木さんのご協力のもと、この慰霊塔建立の立役者であり、在日コリア大牟田代表の禹判根(ウ・パングン)さんにお話をきくことができた。 徴用で連れてこられた仲間が炭坑で命を落としたという話を知人から聞いた経験をきっかけに、禹さんは慰霊碑の建立のために動き始めた。Continue reading “人が人の痛みを見つめ、祈るとき、そこに国境はあるのかーー三池炭坑を日韓のZ世代が歩いてみた②”

Deconstructing the Politicized Emotions–Local citizen’s cooperations for the “dark legacy” in East Asia

When a certain memory is given a historical meaning, a question remains; who are the ones creating this idea of memory “worthy of remembering” ? In this series, members from Japan and Korea visit the “tangible object of memories” in Miike Coal Mine in Omuta, situated in southern Fukuoka Prefecture, which was registered as aContinue reading “Deconstructing the Politicized Emotions–Local citizen’s cooperations for the “dark legacy” in East Asia”

「境界線上に生きる」ふたりの語り、対話の火種めざす

再生ボタンを押すと聞こえてくる、軽快なBGM。「境界線上に生きる!」とポッドキャストの簡単な紹介が始まる。繰り広げられるふたりの会話に台本は無い。事前にテーマの共有をするだけで、具体的に話す内容は、収録ボタンを押してから初めて知るという。学生時代からの友人であるふたりのトークに笑いは絶えない。「自然体が僕らのテーマです」と言いながら、ざっくばらんに取材に答えてくれた。 2021年4月12日から配信が開始された「境界線上に生きる」は、日系ブラジル人のサミーさん(27)とジョージさん(27)が日本語で配信するポッドキャストだ。主に日本と外国両方にルーツを持つ人、いわゆる”ハーフ”にまつわるさまざまなテーマについて話している。 「ハーフ独自の悩みに見えるが、構造を見ると日本人でも同じ悩みを持っている人はいる」とサミーさん。「みんなが前を向けるきっかけを提供したい」とジョージさんは述べた。ふたりの視点から日常を話すことで、気づきや対話を生み出したいという思いがある。 「白か黒か」ではなく「境界線の上で」俯瞰して考えられる ポッドキャストのタイトルは、サミーさんが敬愛するエドワード・サイードの著書「知識人とは何か」から着想を得た。サイードは知識人を「単に知識を持つ者」ではなく、自立的に自己を見つめる「永遠に呪われた亡命者」であると説く。権力に迎合することもなく、また狭い専門性に閉じこもることもなく、常に少数派の立場に立って物事を批判的に考える。 国と国のあいだ、またはどこでもない「境界線の上で」漂っているからこそ、いざという時に「No」と言えるーーそんなサイードの言葉が、自分たちの境遇にも重なった。 「日本とブラジル、どちらがいいか」という思考ではなく、境界線の上に立てばミクロな視点で問題の本質を見ていくことができると思う。そう語るふたりのエピソードは、どれも切り口が鋭く、ハーフの切り口でありながらも社会における普遍的なものばかりだ。 「絶対、怪しいと思った」痛快すぎる出会い ポッドキャストの原点は、朝まで夜通し語り合った学生時代の時間。友人たちと時事問題について議論したり、経営学部生が多かったことから経営学について勉強や議論したりする場だった。失恋の話もした。毎週金曜日の夜に集まっては、誰かが持って来た議題について語らうこの会を「ただただ、好きでやっていたね」とふたりは振り返る。 現在、中南米のホットサンドを日本にも伝えたいとポップアップのサンドイッチ店を経営するサミーさんと、ITで教育を変えたいとIT企業に勤務するジョージさんが出会ったのは、19歳の時。 当時はまだ日系ブラジル人の友人も周りにおらず、同じようなアイデンティティを共有できる誰かを探していたサミーさんは、SNS上で偶然ジョージさんの存在を見つけた。似た背景を持ちながらも、自分とは違い底抜けに明るい性格のジョージさんに興味を持ち、当時運営していた学生団体のイベントに勧誘する口実でメッセージを送った。 この頃ジョージさんは幼少からの夢である経営者になるため、大学内外で積極的に活動していた。サミーさんからのメッセージが来たときは「(急に来た連絡が)怖くて、ずっと無視していた」。しばらく無視を続けたあと、当時営業団体に所属したこともあり、営業目的でサミーさんに連絡をした。 「急に『金持ち父さん、貧乏父さんを知ってるか?』と連絡がきた。ジョージから営業かけられてたんですよ」。会ってみると、気づけば意気投合していた。 大学を卒業し、久しぶりに電話をした。当時のように色々なテーマについて話すなかで「これを公開すると面白いかもしれない」と、ポッドキャストで配信をすることを決めた。 「感覚派」と「理論派」。ふたりが自称するように、取材からも性格の違いが垣間見えた。だが、ふたりの過去には、社会と家庭の文化の違いに戸惑い、「境界線上」をさまよい続けることを選択するまでの葛藤、という共通項があった。 “自分らしさ”をたどる旅路。幼少期に感じたアイデンティティの揺らぎ 2歳のときに祖母と共にブラジルから岐阜県へやって来たジョージさん。両親は出稼ぎで先に来日していた。保育園に通うようになると、次第に周りとの違いに気づき始めた。「自分の中で揺らいだものがあった。(その時が)”ジョージの人生”の始まりだったと思う」と当時を振り返る。 それでも何ら問題なく過ごしていた幼少期は、小学校に進学すると景色が一変した。「ブラジル人」としての自分の一面に対して、周囲が口を出してくるようになったのだ。保育園では仲が良かった友人とも疎遠になり、「バイキン扱いされたり、喧嘩に巻き込まれたりした」と話す。 自分は一体何者なのか。自己表現の方法もわからず、家庭と社会の文化の違いにも悩んだ。 しかし、誰かがどう思っているか、どう感じているか、どう自分を見ているかを気にするよりも、そのまま自分を表現し、自分が決めたことをやる。他人ではなく自分に意識のベクトルを変えていくうち、次第に自信を取り戻していったという。 自身を「ジョージとは正反対の性格」だと話すサミーさんは、ジョージさんと同様、先に出稼ぎに来ていた両親の後を追って4歳でブラジルから名古屋にやって来た。比較的うまくやっていた人間関係の中で、口げんかの拍子に突然「自分の国に帰れ」と言われた小学校3年生の事件がきっかけとなり、アイデンティティの揺らぎを感じ始めた。 自分が生活し、慣れ親しんでいる日本が「自分の国」だと思っていた。それ以来、テストの名前欄にフルネームを書かなくなった。サミーという名前が外国人らしい名前だからだ。 サッカー部に入部すれば「ブラジル人」と囃し立てられ期待された。だから野球部に入って、キャプテンまで務めあげた中学生時代。「当時の自分は必死で日本人になろうとしていたのだと思う」とサミーさんは当時を振り返る。しかしそのせいで、両親や親戚と話すときにポルトガル語で「分かるのに返せない」状態になってしまうほどだったという。 新しい人間関係が始まった高校時代では、フルネームがカタカナ表記の生徒が自分以外におらず、名前をからかわれた。しかし、自分のアイデンティティを隠そうとするとそこを突かれるので、ブラジル人であることをオープンに「蔑むのではなく明るく、武器として」笑いに変えるようになった。そうすると、自分への周囲の眼差しが安定すると気がつき、自分のルーツを表に出せるようになっていったという。 自分たちの葛藤は、すべての人に通じる葛藤だと思う 「ハーフ」の社会史について研究する下地ローレンス吉孝氏は著書で、「ハーフ」当事者による発信は、日本社会で不可視化されてきた人種差別や偏見といった問題を可視化させる重要な契機になっていると指摘している。 「かれら(多様なルーツを持つ人々)に対する差別構造は十分にとらえられてこないまま現代社会に引き継がれている」。国益や市場の利益となる場合には称賛され、反対に「日本人らしさ」が求められる場面では反発を受けるという。社会の両義的で恣意的な対応にさらされる、日本における「ハーフ」の意味づけは、未だ不安定で複雑だ。 また、社会の「ハーフ」に対する線引きや、それがもたらす彼らの生きづらさに向き合うことは「直接的に『日本人とは何者なのか』を問いなおすことである」と下地氏は指摘する。 サミーさんも、一見「ハーフ」特有の悩みに思える悩みや想いも、構造的にはそれは「ハーフ」に限らないと考える。日本社会とブラジル社会の比較を例に、白か黒かの二項対立的にものごとを決めて固執するのではなく、俯瞰して理解することが大事だとふたりは話す。 日本社会の新しいものや異なるものへの”不寛容さ”は、固有の文化やしきたりを壊さず治安を守るという良い面と、就職や住居契約などで外国人を一緒くたに差別することや、厳しい社会のルールに耐えきれず自殺者が出るなどの悪い面と表裏一体だ。一方で移民国家のブラジル社会は時間やルールにも寛容で曖昧さがなくわかりやすいが、治安が悪いという側面を併せ持つ。「感覚派」のジョージさんに言わせれば、日本は「冷たい」社会でブラジルは「熱い」社会だ。冷たすぎてもよくないし、熱すぎても問題は起きる。バランスが大事だとジョージさんは指摘する。 国と国だけではなく、家庭や学校など生まれた時から常に比較対象がある中で、社会の「当たり前」が当たり前じゃない瞬間をたくさん経験しながら育った。「葛藤でもあるけど、成長にもつながる」とルーツを複数持つことのメリットをサミーさんは語る。一方、ジョージさんは何でも比較する中で主観がなくなってしまいやすいと話す。 「可哀想」で終わらせないために。ポップな切り口で、対話を掘り下げる 配信されているエピソードには「国籍選択の話」や「自我の喪失と向き合う」などシリアスなテーマのものもあるが、どれも笑いが絶えない語りで構成され、気構えなく聞いていられる。しかし、唯一ボツになった回があったという。 「『差別について』というタイトルで収録したら、重たくなりすぎてふたりで黙ってしまった」。今までのエピソードで続けてきたポッドキャストのコンセプト「明るく楽しく」の中で差別を語ることはできなかった。 国策として日系ブラジル人を労働力として受け入れるも、現在生じている教育面や就職面の壁、日本社会への順応や差別、老後保障などの問題については対策が講じられることもなく、社会でも十分に認知されていない。 「僕らを通じて、そうした現実があることを知ってもらい、関心を持ってもらわないと何も変わらない。変えられるのは参政権を持っている日本の方だけなんです」とサミーさんは話す。「(偏見というのは)誰もが持っているもの。でも気付けば見方が変わるし、視野も広がると思う」とジョージさんは述べた。 ネガティブなものには「ネガティブなパワー」がある。このパワーは変革の原動力になる一方で、継続して聴いてもらい、社会に前向きな気持ちで「ハーフ」の見る世界を共有するには「可哀想」の思考停止に導いてはいけないとふたりは考える。 「僕らが差別や苦悩について話して、『ハーフって可哀想だな』で終わったらダメなんです。(重い)切り口だと、その”高カロリー”を消費できる人しか聴いてくれない。これを一般の対話に掘り下げていくには、ライトな切り口の中に、深みを出すことが必要だと思っています」。 ふだん何気なく暮らしている社会の中にも、見えない「境界線」があるかもしれないこと。ふたりの軽快なトークは、どんなルーツや背景、考えや文化を持つ人にも、自分の世界を新たな視点で見つめ直すきっかけをくれる。これから配信されるエピソードの、ふたりのトークが導く不思議な「深み」に、どんどんハマっていきたい。 (取材・文:田村康剛、編集:神山かおり) <プロフィール>サミー:1993年サンパウロ生まれの日系ブラジル人4世。様々な文化との接触頻度を上げる切り口として、ケータリング・ポップアップを軸に日本各地にふらりと出没するサンドイッチ屋「C’est la base」(セラバズ) 店主。ジョージ:’93 ブラジル生まれの日系ブラジル人3世。渋谷のIT教育ベンチャーで4000名以上のキャリア相談とセールス責任者を経験後、新規事業セールスの立ち上げリーダーに従事。モットーは「太陽のように生きる☀️」。 ポッドキャスト「境界線上に生きる」視聴方法 Apple:https://podcasts.apple.com/us/podcast/%E5%A2%83%E7%95%8C%E7%B7%9A%E4%B8%8A%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B/id1562809202 Spotify:https://open.spotify.com/show/1oKZ0AMdMrKdapoqQxyYy3 公式Twitterはこちら:https://twitter.com/live_kyoukaisen  公式Instagramはこちら:https://www.instagram.com/live_kyoukaisen/ Follow us THE LEADS ASIAは、「近くて遠い」アジア地域の国々に住むZ世代が繋がり、対話するきっかけと場所を提供することを目指して活動している団体です。FacebookやTwitter、インスタグラムなどでも発信しているので、ぜひチェックしてみてください。

Crossing Boundaries: Two Brazilian Japanese reveal the social structure through Podcast from “Ha-hu” perspective

Samy and Jorge, two young Brazilian Japanese, started a Podcast entitled “Live on the boundaries (境界線上に生きる)”. The problems that may seem unique to “Ha-hu (half Japanese people)”, they think that all the issues are relatable to anyone in society, in terms of structure.

暗い海の上に、美しい朝日が昇るとき。コロナ禍という”危機”の中で原発事故の記憶をたどる

「災害にどう備え、どう対処したかで自然災害は人災に変わる」。そう語るのは元国連大学研究員で現在は日豪で教鞭を執るクリストファー・ホブソン博士。起こり得ないと過信され、甚大な被害をもたらす”テイルリスク”を孕んでいた原発事故とパンデミックに共通する課題や教訓を、私たちはどう今後に活かしていけるのでしょうか?話を聞きました。

日中関係の「二面性」、コロナ禍で浮き彫りにーー”批判”も含む対話を、文化交流に期待

新型コロナ感染拡大により国境を超えた人的往来が制限される中、留学断念や休学を余儀なくされる学生が増えています。一方で、「繋がり」を絶やすまいと今できることを懸命に模索する学生も。新しい時代の日中文化交流のあり方について、専門家の方々と考えます。

In the bleakest of times, resilience and continuity prevail

A decade in, Dr. Christopher Hobsons reflects on the 3/11 triple disasters, and draws upon similarities with the current pandemic. Highlighting problems of trust and communication, he provides a sober reminder to look for continuity instead of change amidst crises.

SNS에서 넘치는 여성 차별과 혐오 발언. 근원을 좇아서 살펴보는 일본과 독일의 사례 (상)

번역: 박주미인터뷰: 슈 리이민편집: 임베어트릭스, 고우야마 카오리 트위터로 보는 정치와 여성차별 8월 28일, 아베 수상이 건강 상태의 악화를 이유로 사퇴해서 최장기 정권이 드디어 종지부를 찍었다. 그 퇴진에 대한 반응은 다양했다. 예를 들어 츠루노 타케시와 같은 탤런트가 전 수상을 칭송하는 트위터가 6만개의 리트윗과 22만개의 좋아요를 획득했는가 하면, 반대로 마이니치 신문에 기고한 배우 마쓰오 타카시와 각본가 마치야마 토모히로등의 저명인은 SNS상에서 아베 수상 퇴임의 정치적 동기에Continue reading “SNS에서 넘치는 여성 차별과 혐오 발언. 근원을 좇아서 살펴보는 일본과 독일의 사례 (상)”

抵制社交媒体上的仇外心理与厌女症: 基于日本和德国的观察

翻译: 郭雨辰采访: 周礼旻撰文: 林沁彤, 神山馨 透视日本政坛的赛博厌女现象 8月28日,日本政治史上时间执政时间最长的政府终于宣告结束。 作为任职时间最长的领导人,安倍晋三(Shinzo Abe)列举了他不断恶化的健康状况等理由提前终止了任期。 广为流传他长期受溃疡性结肠炎困扰,他前一次任期也同样是以此为离职理由。这一消息收到的反响各异。 许多人都对他的状况产生了富有同情的关注,如鹤野刚士等公众人物在推特上对这位首相表达的赞扬。然而,也有些人对他离职背后的政治动机表示怀疑,尤其是在口罩分发等新冠应对措施广受谴责,对于检察官丑闻、森友学园事件等的应对举措引发强烈不满的背景下。 立宪民主党女政治家石垣纪子(Noriko Ishigaki)在安倍辞职当天在推特上提到安倍晋三是“一位糟糕的危机管理者,习惯性地在关键时刻搞砸自己的身体”。她的一连串推文遭到大量批评,许多人呼吁收回这些言论并道歉。 后来,石垣在Twitter上进一步阐述了她的观点,但并不令人意外地,同样遭到了批评。 这些批评很快病毒式传播,带上她的名字和“#我要求石垣纪子代表辞职”的话题标签,呼吁她辞职的讯息在推特整天挂在日本热搜趋势上。也有包括演员松尾隆在内的其他知名人士,在《每日新闻》上撰写了专栏,以及编剧町山智久也同样在社交媒体上表达了自己的不赞同。然而,石垣纪子所受到的批评的程度显然与其他发表过类似言论的人不同,她的第一条推特就屡遭到单独的批评,尽管她后来发文列举安倍政府在过去7年中所犯下种种可能存在违宪的罪行来进行解释。 “我不想在日本当女政治家,”目前在德国埃尔兰根-纽伦堡大学任教的政治学家和日本学家费边-舍费尔教授笑着说。 他最初接触日本文化是他在政治学本科时通过在枥木县的寄宿家庭,这激发了他对日本研究的热情。最近,他与人合著了一项研究,将网络空间对日本在野党女性政治家的言语攻击可视化,认为其严厉程度和攻击频率远高于针对男性、尤其是执政的自民党政治家。 日本的政治格局总体上仍然是以男性为主,众多因素使女性难以在政治上保持成功(Miura, 2017)。此外,道尔顿(2015,2017)曾对日本女性政客的性骚扰进行了深入研究,其研究建立在对日本自由民主党(LDP)和日本民主党(DPJ)成员以及女权主义者联盟(Femiren)成员的访谈的基础上,研究认为,尽管性骚扰一直是当代日本政治中的一个持续问题,但很少公开地得到处理和解决:日本政治中女性所遭受的暴力是广泛而多样的,从性别歧视到沉默甚至是不必要的身体接触。然而,对妇女的骚扰很少被作为一个问题进行讨论,更不用说对妇女的暴力了——从这个意义上讲,它仍然是隐藏的。我认为,造成这种现象的原因之一是,在一种对女性进行性剥削是如此普遍的文化中,人们很难清楚地阐明什么构成了性骚扰。 (道尔顿2017,216) 在对女性的外表进行主题化处理(评论其外貌和着装方式)在日本仍然很普遍的同时,舍费尔博士也发现女性政治人物受到不断攻击的方式也主要基于其外表 ,而不是他们的政治议题。 “有趣的是,互联网上的极右派利用大量讽刺和新词,对女性政治家进行这种厌女的攻击。 他们创造了很多新词来攻击一个人,看上去似乎只是单纯的游戏或日语的“Neta”,而非性别歧视或某些政治意识形态。” 舍费尔教授补充说:“但是,这不应该被误以为只是开玩笑,因为它一方面它对遭受这种言语虐待的对象有伤害性,另一方面又在加重对性别歧视和厌女症的合理化。” 一个你可以任意贴到敌人身上的魔术标签 然而,当批评女性政客时,厌女似乎不是批评者唯一的武器。 另一种形式的歧视也经常发生。 例如,反对党的女政治家雷尼奥(Renho)因为拥有一半台湾和一半日本血统,她在性别和种族上都受到了攻击。 舍费尔博士说:“这就是我们所说的叠加歧视。” 舍费尔博士先前的论文《日本2014年大选:政治机器人,右翼互联网活动家和首相安倍晋三的隐藏民族主义议程》,讨论了互联网右翼分子如何将种族主义和仇外主义的话语 用作“框架桥梁”来攻击政治上反对派、或者仅仅是不喜欢的人。 ‘Hannichi(反日)’或 ‘Zainichi’(在日本的外国人:通常指韩国或中国后裔)的标签可以起到联系民族主义话语和某些政治观点的作用,作为“空洞的能指”(empty signifier)。 同样,在攻击女性政客时出现了“反日女权主义者”的论述。 除了因婚外情被言语攻击外,在我们的样本推文中,山尾还被指责为 “反日”(hannichi)。在这条推特中,山尾的名字和其他女政客一起出现,这些女政客不仅被指责为 “反日”,并且被形容为 “不漂亮”。 【推文大意】20180323_055341,@****:#抗日政客#仁和#仁和#津本清美#福岛瑞穗#山毛诗织 我不能说这些反日政客很美。 只是内心不如外在美。https://t.co/bXyIDulQ0O。. . . . . .20180323_055341,@****:#反日政客#仁和#津本清美。#福岛瑞穗#山尾千织不能真的说#反日女的。政治家都是漂亮的吧,正如人们所期待的那样,内忧外患,不是吗? “反日 “一词是日本网络右翼分子用来攻击政敌的行话的中心词,指控对方的行为“对抗”其本国人们—“日本人”。这是本土主义者和右翼民粹主义者非常常见的修辞策略,他们可以据此将自己定位为唯一一个专门代表 “人民”并为其说话的人。换句话说,山尾和这条推特中标签中的其他女性政客一起,被公开驱逐出 “日本人”这个民族共同体。此外,推特中的链接还涉及到另一条推特,上面有这四位政客非常不雅的照片。因此,这些女政客不仅因为她们所谓的 “反日”态度而受到攻击,而且还因为日本女性经常被评头论足的东西,即她们的外貌而受到攻击。 (Tamara Fuchs, Fabian Schafer “Normalizing misogyny: hate speech and verbal abuse of female politiciansContinue reading “抵制社交媒体上的仇外心理与厌女症: 基于日本和德国的观察”

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