「境界線上に生きる」ふたりの語り、対話の火種めざす

再生ボタンを押すと聞こえてくる、軽快なBGM。「境界線上に生きる!」とポッドキャストの簡単な紹介が始まる。繰り広げられるふたりの会話に台本は無い。事前にテーマの共有をするだけで、具体的に話す内容は、収録ボタンを押してから初めて知るという。学生時代からの友人であるふたりのトークに笑いは絶えない。「自然体が僕らのテーマです」と言いながら、ざっくばらんに取材に答えてくれた。 2021年4月12日から配信が開始された「境界線上に生きる」は、日系ブラジル人のサミーさん(27)とジョージさん(27)が日本語で配信するポッドキャストだ。主に日本と外国両方にルーツを持つ人、いわゆる”ハーフ”にまつわるさまざまなテーマについて話している。 「ハーフ独自の悩みに見えるが、構造を見ると日本人でも同じ悩みを持っている人はいる」とサミーさん。「みんなが前を向けるきっかけを提供したい」とジョージさんは述べた。ふたりの視点から日常を話すことで、気づきや対話を生み出したいという思いがある。 「白か黒か」ではなく「境界線の上で」俯瞰して考えられる ポッドキャストのタイトルは、サミーさんが敬愛するエドワード・サイードの著書「知識人とは何か」から着想を得た。サイードは知識人を「単に知識を持つ者」ではなく、自立的に自己を見つめる「永遠に呪われた亡命者」であると説く。権力に迎合することもなく、また狭い専門性に閉じこもることもなく、常に少数派の立場に立って物事を批判的に考える。 国と国のあいだ、またはどこでもない「境界線の上で」漂っているからこそ、いざという時に「No」と言えるーーそんなサイードの言葉が、自分たちの境遇にも重なった。 「日本とブラジル、どちらがいいか」という思考ではなく、境界線の上に立てばミクロな視点で問題の本質を見ていくことができると思う。そう語るふたりのエピソードは、どれも切り口が鋭く、ハーフの切り口でありながらも社会における普遍的なものばかりだ。 「絶対、怪しいと思った」痛快すぎる出会い ポッドキャストの原点は、朝まで夜通し語り合った学生時代の時間。友人たちと時事問題について議論したり、経営学部生が多かったことから経営学について勉強や議論したりする場だった。失恋の話もした。毎週金曜日の夜に集まっては、誰かが持って来た議題について語らうこの会を「ただただ、好きでやっていたね」とふたりは振り返る。 現在、中南米のホットサンドを日本にも伝えたいとポップアップのサンドイッチ店を経営するサミーさんと、ITで教育を変えたいとIT企業に勤務するジョージさんが出会ったのは、19歳の時。 当時はまだ日系ブラジル人の友人も周りにおらず、同じようなアイデンティティを共有できる誰かを探していたサミーさんは、SNS上で偶然ジョージさんの存在を見つけた。似た背景を持ちながらも、自分とは違い底抜けに明るい性格のジョージさんに興味を持ち、当時運営していた学生団体のイベントに勧誘する口実でメッセージを送った。 この頃ジョージさんは幼少からの夢である経営者になるため、大学内外で積極的に活動していた。サミーさんからのメッセージが来たときは「(急に来た連絡が)怖くて、ずっと無視していた」。しばらく無視を続けたあと、当時営業団体に所属したこともあり、営業目的でサミーさんに連絡をした。 「急に『金持ち父さん、貧乏父さんを知ってるか?』と連絡がきた。ジョージから営業かけられてたんですよ」。会ってみると、気づけば意気投合していた。 大学を卒業し、久しぶりに電話をした。当時のように色々なテーマについて話すなかで「これを公開すると面白いかもしれない」と、ポッドキャストで配信をすることを決めた。 「感覚派」と「理論派」。ふたりが自称するように、取材からも性格の違いが垣間見えた。だが、ふたりの過去には、社会と家庭の文化の違いに戸惑い、「境界線上」をさまよい続けることを選択するまでの葛藤、という共通項があった。 “自分らしさ”をたどる旅路。幼少期に感じたアイデンティティの揺らぎ 2歳のときに祖母と共にブラジルから岐阜県へやって来たジョージさん。両親は出稼ぎで先に来日していた。保育園に通うようになると、次第に周りとの違いに気づき始めた。「自分の中で揺らいだものがあった。(その時が)”ジョージの人生”の始まりだったと思う」と当時を振り返る。 それでも何ら問題なく過ごしていた幼少期は、小学校に進学すると景色が一変した。「ブラジル人」としての自分の一面に対して、周囲が口を出してくるようになったのだ。保育園では仲が良かった友人とも疎遠になり、「バイキン扱いされたり、喧嘩に巻き込まれたりした」と話す。 自分は一体何者なのか。自己表現の方法もわからず、家庭と社会の文化の違いにも悩んだ。 しかし、誰かがどう思っているか、どう感じているか、どう自分を見ているかを気にするよりも、そのまま自分を表現し、自分が決めたことをやる。他人ではなく自分に意識のベクトルを変えていくうち、次第に自信を取り戻していったという。 自身を「ジョージとは正反対の性格」だと話すサミーさんは、ジョージさんと同様、先に出稼ぎに来ていた両親の後を追って4歳でブラジルから名古屋にやって来た。比較的うまくやっていた人間関係の中で、口げんかの拍子に突然「自分の国に帰れ」と言われた小学校3年生の事件がきっかけとなり、アイデンティティの揺らぎを感じ始めた。 自分が生活し、慣れ親しんでいる日本が「自分の国」だと思っていた。それ以来、テストの名前欄にフルネームを書かなくなった。サミーという名前が外国人らしい名前だからだ。 サッカー部に入部すれば「ブラジル人」と囃し立てられ期待された。だから野球部に入って、キャプテンまで務めあげた中学生時代。「当時の自分は必死で日本人になろうとしていたのだと思う」とサミーさんは当時を振り返る。しかしそのせいで、両親や親戚と話すときにポルトガル語で「分かるのに返せない」状態になってしまうほどだったという。 新しい人間関係が始まった高校時代では、フルネームがカタカナ表記の生徒が自分以外におらず、名前をからかわれた。しかし、自分のアイデンティティを隠そうとするとそこを突かれるので、ブラジル人であることをオープンに「蔑むのではなく明るく、武器として」笑いに変えるようになった。そうすると、自分への周囲の眼差しが安定すると気がつき、自分のルーツを表に出せるようになっていったという。 自分たちの葛藤は、すべての人に通じる葛藤だと思う 「ハーフ」の社会史について研究する下地ローレンス吉孝氏は著書で、「ハーフ」当事者による発信は、日本社会で不可視化されてきた人種差別や偏見といった問題を可視化させる重要な契機になっていると指摘している。 「かれら(多様なルーツを持つ人々)に対する差別構造は十分にとらえられてこないまま現代社会に引き継がれている」。国益や市場の利益となる場合には称賛され、反対に「日本人らしさ」が求められる場面では反発を受けるという。社会の両義的で恣意的な対応にさらされる、日本における「ハーフ」の意味づけは、未だ不安定で複雑だ。 また、社会の「ハーフ」に対する線引きや、それがもたらす彼らの生きづらさに向き合うことは「直接的に『日本人とは何者なのか』を問いなおすことである」と下地氏は指摘する。 サミーさんも、一見「ハーフ」特有の悩みに思える悩みや想いも、構造的にはそれは「ハーフ」に限らないと考える。日本社会とブラジル社会の比較を例に、白か黒かの二項対立的にものごとを決めて固執するのではなく、俯瞰して理解することが大事だとふたりは話す。 日本社会の新しいものや異なるものへの”不寛容さ”は、固有の文化やしきたりを壊さず治安を守るという良い面と、就職や住居契約などで外国人を一緒くたに差別することや、厳しい社会のルールに耐えきれず自殺者が出るなどの悪い面と表裏一体だ。一方で移民国家のブラジル社会は時間やルールにも寛容で曖昧さがなくわかりやすいが、治安が悪いという側面を併せ持つ。「感覚派」のジョージさんに言わせれば、日本は「冷たい」社会でブラジルは「熱い」社会だ。冷たすぎてもよくないし、熱すぎても問題は起きる。バランスが大事だとジョージさんは指摘する。 国と国だけではなく、家庭や学校など生まれた時から常に比較対象がある中で、社会の「当たり前」が当たり前じゃない瞬間をたくさん経験しながら育った。「葛藤でもあるけど、成長にもつながる」とルーツを複数持つことのメリットをサミーさんは語る。一方、ジョージさんは何でも比較する中で主観がなくなってしまいやすいと話す。 「可哀想」で終わらせないために。ポップな切り口で、対話を掘り下げる 配信されているエピソードには「国籍選択の話」や「自我の喪失と向き合う」などシリアスなテーマのものもあるが、どれも笑いが絶えない語りで構成され、気構えなく聞いていられる。しかし、唯一ボツになった回があったという。 「『差別について』というタイトルで収録したら、重たくなりすぎてふたりで黙ってしまった」。今までのエピソードで続けてきたポッドキャストのコンセプト「明るく楽しく」の中で差別を語ることはできなかった。 国策として日系ブラジル人を労働力として受け入れるも、現在生じている教育面や就職面の壁、日本社会への順応や差別、老後保障などの問題については対策が講じられることもなく、社会でも十分に認知されていない。 「僕らを通じて、そうした現実があることを知ってもらい、関心を持ってもらわないと何も変わらない。変えられるのは参政権を持っている日本の方だけなんです」とサミーさんは話す。「(偏見というのは)誰もが持っているもの。でも気付けば見方が変わるし、視野も広がると思う」とジョージさんは述べた。 ネガティブなものには「ネガティブなパワー」がある。このパワーは変革の原動力になる一方で、継続して聴いてもらい、社会に前向きな気持ちで「ハーフ」の見る世界を共有するには「可哀想」の思考停止に導いてはいけないとふたりは考える。 「僕らが差別や苦悩について話して、『ハーフって可哀想だな』で終わったらダメなんです。(重い)切り口だと、その”高カロリー”を消費できる人しか聴いてくれない。これを一般の対話に掘り下げていくには、ライトな切り口の中に、深みを出すことが必要だと思っています」。 ふだん何気なく暮らしている社会の中にも、見えない「境界線」があるかもしれないこと。ふたりの軽快なトークは、どんなルーツや背景、考えや文化を持つ人にも、自分の世界を新たな視点で見つめ直すきっかけをくれる。これから配信されるエピソードの、ふたりのトークが導く不思議な「深み」に、どんどんハマっていきたい。 (取材・文:田村康剛、編集:神山かおり) <プロフィール>サミー:1993年サンパウロ生まれの日系ブラジル人4世。様々な文化との接触頻度を上げる切り口として、ケータリング・ポップアップを軸に日本各地にふらりと出没するサンドイッチ屋「C’est la base」(セラバズ) 店主。ジョージ:’93 ブラジル生まれの日系ブラジル人3世。渋谷のIT教育ベンチャーで4000名以上のキャリア相談とセールス責任者を経験後、新規事業セールスの立ち上げリーダーに従事。モットーは「太陽のように生きる☀️」。 ポッドキャスト「境界線上に生きる」視聴方法 Apple:https://podcasts.apple.com/us/podcast/%E5%A2%83%E7%95%8C%E7%B7%9A%E4%B8%8A%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B/id1562809202 Spotify:https://open.spotify.com/show/1oKZ0AMdMrKdapoqQxyYy3 公式Twitterはこちら:https://twitter.com/live_kyoukaisen  公式Instagramはこちら:https://www.instagram.com/live_kyoukaisen/ Follow us THE LEADS ASIAは、「近くて遠い」アジア地域の国々に住むZ世代が繋がり、対話するきっかけと場所を提供することを目指して活動している団体です。FacebookやTwitter、インスタグラムなどでも発信しているので、ぜひチェックしてみてください。

Crossing Boundaries: Two Brazilian Japanese reveal the social structure through Podcast from “Ha-hu” perspective

Samy and Jorge, two young Brazilian Japanese, started a Podcast entitled “Live on the boundaries (境界線上に生きる)”. The problems that may seem unique to “Ha-hu (half Japanese people)”, they think that all the issues are relatable to anyone in society, in terms of structure.

日中関係の「二面性」、コロナ禍で浮き彫りにーー”批判”も含む対話を、文化交流に期待

新型コロナ感染拡大により国境を超えた人的往来が制限される中、留学断念や休学を余儀なくされる学生が増えています。一方で、「繋がり」を絶やすまいと今できることを懸命に模索する学生も。新しい時代の日中文化交流のあり方について、専門家の方々と考えます。

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