知覧平和プログラムから考える、これからの平和
取材・文:原田佳祐、佐々木彩乃 構成・編集:神山かおり
命を道具化した「特攻」は現代社会と断絶していると言えるのか
いまだに絶えない、国家間の政治対立や緊張、貿易摩擦。歴史や領土をめぐって外交問題化する大小あれこれの諍い。民族間の紛争。公権力の濫用、民意なき独裁。また、目まぐるしく余裕のない日々を過ごし、不信感をベースに対人関係が築かれていく社会。
ーーそんな「戦後78年」の現代を生きる私たちにとっての「平和」とは、一体何を指しているのか。今一度、立ち止まって根本的に問い直す必要があります。
THE LEADS ASIAは2023年1月7日・8日の2日間にわたり、NPO法人Wake Up Japanと共催で「知覧平和プログラム*1」を開催しました。10代~20代の9名からなる参加者と知覧特攻平和会館を訪れ、死を条件とする太平洋戦争末期の攻撃作戦「特攻」を通じて平和のあり方を再考しました。

人権や命の尊厳が蹂躙され「平和」が侵される世界は、実は平穏な日常といつも隣り合わせです。それは法規制や言論統制*2、或いは少数者差別など、さまざまな形でじわりじわりと不穏な兆候を見せながら日常を侵食していきます。
だからこそ、軍が主導し命が道具として扱われた「特攻作戦」の悲しい記憶を、78年前に起こった過去の出来事だと客観視するのではなく、その仕組みや成り行きを批判的に考察し、自分たちの生きている社会と照らし合わせ、現代的意味の「積極的平和*3」実現に活かすことが大切です。
東アジアの若者が共に平和を構築していくことを目指すTLAだからこその観点で、「特攻」のいま・むかしを見つめます。
*1 本プログラムは李煕健韓日交流財団の助成を受けて実施したものです。
*2 戦前の日本では1925年制定の「治安維持法」によって、国民主権を主張したり、侵略戦争や軍国主義に反対したりした人が弾圧され、多くの命が奪われました。廃止されるまでの二〇年間に、逮捕者数十万人、送検された人75,681人、虐殺された人80人以上、拷問、虐待などによる獄死、1,600人余、実刑5、162人。戦後、政治的自由の弾圧と人道に反する悪法として廃止され、処罰された人々は無罪とされましたが、政府はいまだ謝罪も賠償もしていません。(参議院ホームページより)
*3 単に紛争・戦争などの直接的な暴力がない状態を「消極的平和」と呼ぶのに対して、ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥング博士は貧困、抑圧、差別などの「構造的暴力」がない状態を示すものを「積極的平和(Positive Peace)」として提案しました。
1月7日 | 1月8日 |
鹿児島駅集合 | 鹿児島駅集合 |
知覧特攻平和会館訪問 | 維新ふるさと館訪問 |
鹿児島市内での夕食 | 鹿児島市内での昼食 |
ー | 鹿児島市内でのワークショップ |
朝鮮・台湾出身の特攻隊員の存在、光は当てられず
朝鮮半島と台湾を植民地政策下に置き統治していた大日本帝国の軍は、太平洋戦争末期の1944年以降はこれら「外地」にも徴兵制を適用して多くの台湾人や朝鮮人を動員し、その多くが命を落としました。徴兵制で動員された朝鮮人の数は21万人、台湾人は3万5千人に達したと言われています。
徴兵された外地出身者の中には軍の命令によって、特攻隊として出陣することを強いられた人もいました。べ・ヨンホン著『朝鮮人特攻隊―「日本人」として死んだ英霊たち』は、日本の特攻隊員として突撃していった朝鮮半島出身者の隊員についての基本的な背景と隊員個々人の物語を紹介しています。
しかし朝鮮出身の特攻隊員の記憶は、遺族にとっても語られたくないものとして公にされず、今でも事実の多くが闇に葬られたままになっていることが記されています。

今回、実際に資料館を訪れてみると、特攻隊の国籍一覧に朝鮮半島の出撃者の名簿が残されていました(公式記録によると朝鮮半島出身者は合計で11名)。しかし、彼らがどのように特攻隊員として出陣するに至ったのか、突撃の前後に何があったのかなど詳細をうかがえるものはなく、ただ日本出身の隊員と同じリストに名前が並列されているだけで、彼らの生い立ちや感情などを説明するような展示はみつけられませんでした。
植民地出身者というポジショナリティの隊員が日本軍のために戦い命を落としたという事実は、丁寧な説明を要する複雑な歴史です。しかし、その複雑さに比例するような展示は設けられていません。
参加者の感想の中にも特攻隊の出身地の表記について「朝鮮・韓国・台湾と簡単に記載してあると、歴史的背景を知らない人は学びを得にくいと感じた」という意見がありました。
東アジアにおける植民地支配をめぐる諸問題ーー戦後の経済成長の波や冷戦、続くアジア地域での紛争など動乱の中で埋もれてしまったままになっている歴史ーーにスポットライトを当てて2度と同じようなシステムが起動しないよう深く考察することは、平和の構築にあたり早急な課題ではないかと感じました。
愛国心とは、「監視」を続け平穏を守り抜くこと
このプログラムの重要なテーマの一つが「愛国心」でした。半強制であった特攻隊員は、当時の日本人の愛国心の象徴として語られることも少なくありません。
確かに、特攻隊員の最後に残した手紙には、天皇のために忠誠を尽くすという勇ましい「忠君即愛国*4」の想いが記されています。一方で、特攻隊員に近しかった女性たちの証言によると「日本はこの戦争に負ける」と語っていた特攻隊員の存在もあったことがわかります。負けを予見しながら、片道だけの燃料を乗せた機体で飛び立つなかで「忠君即愛国」だけが最後まで本心だったのかと疑問を感じました。
また、未来を生きる人々に「良い国を作ってほしい」というメッセージが伝わる手紙も見られました。彼らの願った「良い国」とは、愛国とは、一体何なのでしょうか。皆で考えました。

2022年11月、「日韓市民100人未来対話」に参加したTLAのメンバーが本プログラムの概要と「愛国心」というテーマを紹介しました。その際に「国家における市民の役割は、それに自分を捧げることではなく、自分に危険を及ぼさないよう(国家権力を)監視し続けることだ」という意見が挙げられました。
「国家・国民」や「民族」、「地域」などの共同体は、常に枠をひいた外の「他者(others)」を必要とする、創られた概念です。B・アンダーソンはこれを「想像の共同体」と呼び、ナショナリズムの起源であるとしました。
国民国家制度で機能している世界で生活している限り、私たちは自分の属する共同体をより良くしようと経済・政治・文化活動などに勤しみます。しかしその共同体の「外枠」は人々のナショナリズムを煽動して「他者」と「我々」を差別化し、仮想敵を作り出すことを容易にするものでもあります。
権力者がナショナリズムを形成し国民をコントロールすることを通じて、個人の人権や尊厳が踏みにじられて武器にされるような状況下で自己を捧げることは、共同体に寄与する「愛国」ではありえません。
だからこそ、各人が平和な日常を守っていく、未来の平和を作り上げていくにあたって、国家権力の動きをチェックする市民の厳しい監視の眼が欠かせないのだとわかりました。
*4「忠君愛国」は明治時代後期から太平洋戦争まで日本において国民道徳として扱われた考え方。明治初期に福沢諭吉などを中心に提唱された「自主・愛国」の考え方に始まり、盲目的な「君主信奉」ではなく、個々人が独立したうえで、より良い国家を成立させるための行動することを求めたもの。明治時代中期からは天皇への忠君倫理が強まり、「忠君即愛国」へと変容していきました。
「美化せず、風化させず」ーー展示の孕みうる矛盾と凡庸悪

知覧特攻平和記念会館(以下、平和会館)は、1965年に少飛会(陸軍少飛平和祈念の会)や特操会(特別操縦見習士官)等の特攻関係者から「特攻銅像の建立」と「遺品館」建設を求める声が上がったことをきっかけに動き出しました。
その後「特攻遺品館」が建設されると次第に全国から訪れる人が増え、遺族や関係者から寄せられる遺品も増えてきます。鹿児島の海にあった航空機の残骸を引き上げて展示する作業も行われるようになり、「知覧特攻平和会館」として現在の場所でオープンして以来来場者は増え続け、2020年には来館者が2,000万人を突破しました。
資料館のテーマは、「美化せず、風化させず」。学芸員の方によると「史実を伝え、世界平和に寄与すること」が資料館の役目であり、見方や特定の主義主張に与することなく、余計な装飾も極力せず展示品をありのままに見せることで、その解釈を見る側に委ねる、というのが平和会館の基本姿勢だといいます。
実際に資料館では特攻隊員の遺品と手紙が淡々と並べられている印象でした。確かに、平和会館は愛国心を美化するものと誤って捉えられかねない、危うさと隣り合わせです。しかし、もしも知覧平和記念館が展示を美化しないことを「中立」と解釈して記念館の展示やコンセプト自体をデザインしているならば、本質的な平和構築についてどこまで訪問者側に考えさせることができるのかは不透明です。歴史・平和について積極的に学べる機会を提供するという記念館の役割はきちんと果たされるのか、という問いも生まれました。
“凡庸な悪”の批判に「中立」はあり得ない
そもそも、戦争の歴史や記憶をめぐって「中立」という概念は成り立ちうるのでしょうか。戦争責任に関する議論では、ユダヤ系ドイツ人学者のハンナ・アーレントの提唱した「凡庸悪 (“banality of evil”) = ありふれた悪」という言葉がよく引用されます。
ナチス・ドイツ下で指揮官的役割を果たしていたアイヒマンは、当時与えられた任務ーー強制収容所にユダヤ人を輸送したことは、命令を全うしていただけだとして戦後裁判で無罪を主張。アイヒマンのしたことを、アーレントは誰でも持ちうる「凡庸悪」であると表現しました。つまり、自分の頭で考えることを放棄し、ナチスに自己の決定権を受け渡して直接・間接かかわらず暴力構造に加担したことは、アイヒマンに限らず市民誰しもが持ちえた、「ありふれた悪」であると説いたのです。
国家が市民の権利を奪いコントロールしていく過程において、民主主義の監視役割を担っているはずの市民が、深く考えることを放棄する中で暴力を助長する。そんな市民自身も無意識のうちに戦争に加担していくような構造の中で、「中立」なる立場が存在するのは極めて難しいと言えます。なぜなら、その状況下では国家に無批判に従い生きること自体が、公権力の暴走、および暴力に加担するという意味合いを持ってしまいうるからです。
戦時中を生きた人々の生活を「ありのまま」見せるという記念館の姿勢は、どこまで中立でありうるのか。ともするとその姿勢は、アーレントの説く「考えることの放棄」、つまりは凡庸悪を生み出すものにも繋がりうるのではないかとも感じました。
わかりやすく、考えさせる展示とは?
2日目に訪れた鹿児島市の「維新ふるさと館」は主に幕末から明治維新にかけての鹿児島の歴史と、活躍した鹿児島出身の偉人を紹介しており、その視覚的なわかりやすさが特徴的な記念館です。
映像・音声など他媒体を駆使した展示や、ロボットやマルチシアターを使った体感シアター、大河ドラマシアターなどは、来館していた小学生も楽しそうに学習を進めていました。扱っている戦の背景は大きく異なれど、人間が争い合う戦争の歴史を扱う中で、「中立」を貫く知覧平和記念館とは全く異なるストーリーの紡ぎ方、来館者との関わり方をしている維新ふるさと館の記念館としてのあり方は、印象的でした。
設定された時代やテーマの中で、記念館がどのようなメッセージやヒントを見る側に与えたら学びの萌芽を手助けできるのか。「中立」という立場が極めて難しい概念であること、そして市民と国家の関係が崩壊し戦争の惨禍が起こることは現在進行形の日常の中でも十分にありえるのだということーーこれらの点を来場者に訴えかけるのも、これからの平和記念館の役割ではないかと考えさせられました。
共同体で共有される、集団のビジョンーー太平洋戦争期においては連合国軍への勝利、そして明治維新期であれば新しい時代の実現ーーを前に、人の命は道具となりえる。そしてその状況を作り出すのは紛れもなく私たち個人であるということを、2つの博物館を俯瞰することで考えさせられました。

編集後・執筆者の徒然
終戦から78年目の夏がやってきました。戦争体験世代から直接お話を伺う機会が最近かなり減ってきたように感じます。戦争を体験していない世代として、どのように平和を訴え、平和を構築できるのか、大きな挑戦の時を迎えているように思えます。
先日、私は日中戦争期における中華民国空軍の記憶をたどるドキュメンタリー『冲天(英題:The Rocking Sky)』を視聴しました。これは中国の中央航空学校(CAS)にて若くして操縦士となった中国人の日中戦争の記録です。CASの入り口には自らの命よりも母国へ尽くし通すことを是とする校訓が掲げられていた、と説明されていました。この考え方は特攻の考え方に非常に近しいものだと驚きました。更にそのドキュメンタリーではCASの操縦士を支えた女性達の目線から操縦士の生き様やその中の葛藤が描かれていたのですが、操縦士達が地上に残していく人々に宛てた最後の手紙は、まさに私たちが知覧で目にした内容と同じでした。未来への希望、残していく者達の安全への願い、家族や愛しい人への想い。
あの戦争は世界中の若者達に何を背負わせたのか。改めて自国目線だけで考えてはいけないと強く思わされるドキュメンタリーでした。
本記事では、本州最南端の特攻基地である知覧を訪問した際に考えたことを共有しました。今後もTLAの活動では「戦争」や「平和」を重要なテーマとして位置づけ、各種企画を行っていく予定です。NPO法人Wake Up Japanの皆さんともさらなるコラボレーションを推進していきますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
【参考リンク・書籍・ドキュメンタリー】
- 知覧特攻平和会館配布資料
- 知覧特攻平和会館 館長 塗木 光久さんインタビュー
- 福沢諭吉『学問ノススメ』
- 『朝鮮人特攻隊―「日本人」として死んだ英霊たち (新潮新書)』
- 『特攻――戦争と日本人 (中公新書)』
- アジアドキュメンタリーズ配信:『冲天(英題:The Rocking Sky)』(字幕版)