THE LEADS ASIAは日中韓三国協力事務所(TCS)主催の「東アジア文化都市 メディア&インフルエンサーツアー」において現地を訪問する中で感じた文化的な共通項を基に「”舞”からたどる、日中韓のからだ・こころ・たましい」と題した連載をはじめた。
形式や伝統にとらわれず、文化的ルーツや哲学、身体性を活かすアジアのコンテンポラリーダンスに着目し、日中韓より4人のアーティストに独自のインタビューを実施。バーチャルを生きる現代人が忘れてしまいがちな皮膚感覚・言語感覚・認識を以て活躍する身体表現者たちのスナップショットを届ける中で、身体が魂やことばと繋がるための実践としての「舞」を通じた東アジア3カ国が持つ根源的なつながりを浮き彫りにしていく。

第1弾は、中国出身のコンテンポラリーダンサー・李可華(Li Kehua)。
中国伝統舞踊の英才教育を受けて育った彼女は現在、国内に留まらず、最近ではヨーロッパにも活躍の場を広げて精力的に活動している。以前は国内有数のコンテンポラリーダンスカンパニーに所属し、プロダンサーとしての安定した暮らしをおくっていた。しかし、いつしかある「心の声」が聞こえてきたという。
ダンスとは単純に身体を動かすことではなく、「人と出逢うための”言語”」と話す可華。どういうことか、そのコトバを聞いた。
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焦らず、焦らされず。心の声に従って「正しい」場所を目指して歩く
可華が20歳で入団した北京のLTDX(雷動天下)は、曹成元(ウィリー・ツァオ)が中国で初めてNGOとして設立した北京のコンテンポラリーダンスカンパニーだ。まだコンテンポラリーダンスの概念が比較的新しい中国における有数のコンテンポラリーダンス専門舞踊団であり、2005年の設立以来質の高い作品を上演し続けている。
6年間にわたって在籍した可華は「ダンサーとして数え切れないことを学んだ」と語る一方で、次第に同じ日々の繰り返しに疑問を抱くようになっていった。
可華:定時は9時から18時で、公演前になればそれ以上の練習が当たり前。他のダンサーたちとは毎日一緒にいて、「自分の家族より家族」と感じるほど一緒に過ごす時間は長かったです。
私たちはただ「良いダンサー」でいればよくて、毎日身体を訓練し、演目を一生懸命練習して、上手に踊っていればいい。安定した給料をもらえるし、別のことを考える必要もありません。普通に考えれば、中国でのプロダンサーとして理想的な生活だったと思います。

でも、心の声は違った。私は世界中のいろんな人と出会って、さまざまな景色をみて、いつも新鮮な空気を吸っていたいと素直に思いました。
可華は26歳のときに独立し、フリーランスのダンサーとして活動していくことを決意した。
可華:ディレクターのウィリー・ツァオに伝えるとき、がっかりさせたりしまうのではないかと不安でした。でも私の話を聞き終わった彼はただ頷いて「オーケー。君はそうするべきだよ」とだけ。話してよかったと、救われる思いでした。彼には今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
独立してすぐの2019年、イスラエルにガガ・メソッド*を学びに行く。
*ガガ・メソッドとは、イスラエルのバットシェバ・ダンス・カンパニーのディレクター兼教師であるオハッド・ナハリンによって開発された身体言語と教育法。メソッドでは主にイメージに基づいて即興で動きを作り、鏡を見ることなく型にはまらない動きを促進する。


可華:満天の星空の下で、天の川に見惚れながら過ごした夜、出会った人々、景色。一生忘れられません。ダンスのインスピレーションにもなりました。

生まれ育った国を飛び出してさまざまな人の価値観に触れるうち、可華は常に焦りを抱いて行動していたこれまでの自分の姿を発見したという。
可華:中国にいる時は、常に前へ前へと動いていないと「時間を無駄にしている」という感覚がありました。小さな頃から周囲と比べられているうちに、いつでもどこでも競争していないといけないという思い込みがあったのかもしれません。ダンスも、人生も。
日本や韓国でもそうかも知れませんが、アジアでは小さな頃から厳しい競争の中にいることは当たり前ですよね。ヨーロッパの友達のびのびした人生の歩み方や、「本当にやりたいことを追いかける」という生き方を知って、自分に合っていて居心地がいいなと感じました。
身体言語を身につけ、他者と「知り合う」
2023年4月上旬、可華はドイツ・ベルリンの劇場で”身体と意識”をめぐるワークショップを開催した。クラシックバレエ、民族舞踊、Butoh(舞踏)、太極拳、気功などから得た技術や哲学を独自に織り交ぜ、表面的な振り付けの動きではなく、自分の身体の内側に耳を傾けることに取り組む。

つま先の微妙な重心移動と繊細なコントロール、26のパーツが繋ぐ背骨への意識、筋肉を使う意識の集中と拡大、二本足で立つための関節、想像力との接続ーー2日間かけて、踊るための8つの「Key(鍵)」が可華の超人的な身体能力によって伝授され、的確なアドバイスによってプロアマ入り混じる参加者の身体がだんだんとひらかれていく。
こうした鍵の一つ一つが「単語(Vocabulary)」となり、「文(Phrase)」となる。そうして、自分独自の言語(language)が生まれるのだ。
参加者たちは動きの習得を通じて、確かに身体による表現の深度や明度をぐんと増していく。すると可華は参加者に「目をしっかり開いて」「周りの人と積極的に出逢って」と呼びかける。
次第に参加者同士で共有しているその空間や時間そのものが、溶け合い、一つになっていく。この時間は人と人が「知り合う」とはどういうことなのか、多くの時間をバーチャルの世界に生きる現代人のわたしたちに問いかける。

可華:私にとって踊りは、国境や違う認識などを超える「言語」です。私自身、自分の言葉で話すのはすごく苦手。でも身体を動かして自分の「身体言語」で交流すれば、私がどういう人間なのかもよく理解してもらえるし、反対に相手がどのような人なのかもわかります。
以前スポーツブランドの広告撮影に参加した際、慣れない現場で萎縮してしまって。でもダンサー同士でそれぞれがダンスや動きを披露したら、すぐにどういう人間なのかを伝え合うことができました。

「もう外国との繋がりは断とう」と思ったコロナ
自分の息の吸える場所を見つけた矢先、パンデミックが起こる。国外へ出られないまま三年もの歳月がたち「もう外国や友達との繋がりは断とう」とまで思ったという可華。もどかしい日々が続いた。
可華:期待をすればするだけ、虚しくなってしまうから。どうせならもう諦めていよう、と。だから2023年に入って政府のゼロコロナ政策がなくなっても、ずっと中国にいるままで、外国へ行って何かする気持ちもないままでした。
ある時、ドイツで活動する日本人舞踏家の親友・モトヤにテレビ電話に誘われました。正直、話す直前まで気が重かったのですが。でも話しているうちに昔の自分の感覚を取り戻してきた気がして。「ヨーロッパに遊びにおいでよ」と気軽に言われた時に、ハッとしました。
そして可華は約3年ぶりに国外へ出て、彼とスペインの都市を一緒に旅することに。インスピレーションを得て、これからのプロジェクトの構想をしたという。
可華:モトヤとは一緒にパフォーマンスもしたし、ワークショップも開催しました。踊っていない時は東洋哲学や舞踏の話など、さまざまな深い話をします。英語で話しますが、たまにお互いの意味を理解できない時は筆談をして、漢字で意思疎通をすることもあります。
旅で出会った人との繋がりで、ヨーロッパでの写真や映像製作のプロジェクトにも関わるようになりました。こうして自分の身体言語で踊り、その言葉で話している中でこれまで思いもしなかったような世界がひらけていくのは、本当に楽しいです。

相互理解に文化交流が鍵。課題は物理的な障害
再び自由に国境を跨ぎ、世界を飛び回って踊るようになった可華。彼女は未だに政治的な問題が国民感情に影響するアジアにおいて、その壁を乗り越える鍵になるのは文化交流かも知れない、と感じたという。その上で、文化交流を実現させる際の障壁の存在についても指摘する。
可華:日本にもまだ行ったことがないけれど、舞踏のことももっと良く知りたいし、とても強い繋がりを感じているのでダンスを通じていつか行く機会があれば良いなと思っています。
思いのほか、互いの交流を隔てる壁は物理的なものだけなのかもしれません。
世界中で一国主義的な閉鎖感を感じていますが、人と人の感情がつなぐ文化交流はもしかするとそれを飛び越えられると思います。でも、実際に中国人アーティストがビザを獲得してどこかに滞在し制作活動をしたり、教えたりするのはとても大変です。EUのようにビザ免除で行き来でき、文化交流や合同制作ができたなら、もっと容易になるはずなのに。
資金面の問題もあります。現在の公的な助成制度で多いのはまるでビジネスのような形でのファンディング。投資すれば目に見える形で成果が出るものだ、という期待つきの。そうではなく、何も期待せず、ただ才能のあるアーティストを自由に泳がせるような仕組みが必要だと思います。
頭や理性よりも身体的な感覚で違和感を覚える環境を飛び出し、居心地の良い場所を探す中でだんだんと蓄積されていく外部からの影響や経験は、いずれ何かの形で大きな変化をもたらす。芸術活動にはこうした「狙ったわけではない」変革をもたらす作用や試みが欠かせないが、既存の仕組みの中では難しいようだ。
だからこそ、可華は語る。
可華:変化というものは1ヶ月、半年、5年…と時間が経っていく中にいて、なかなかわからないものです。でも、変わろうとして変わったのではない自然な変化は、一番望ましいものだと思っています。
もしも今自分のいる場所が「違う」と感じるなら、いつまでもそこに留まっていてはダメです。はっきりと自分で違和感を認識できる時には、もうその変化は決定的になっているものだと思うから。

李・可華|中国・山東省済南市出身。3歳からダンスを始め、中国伝統舞踊と民族舞踊を学ぶ。20歳の時に北京の舞踊団LTDXに入団、その後6年間フルタイムでコンテンポラリーダンサーとして活躍。劇場公演では計30作品、個人制作の5作品に参加。その後フリーとして独立し、バレエ、ヨガ、太極拳、舞踏の世界に触れ、イスラエルやパリで修行。舞台創作に加え、自主制作アートプロジェクトに注力する。現在、世界各地を旅しながら東洋と西洋の文化交流と協力に焦点を当て、ダンス、絵画、音楽、彫刻、映像、環境芸術などを手がける中で異なる芸術カテゴリーの統合と相互影響の深化を促している。