歴史は繰り返す、でもそれ以前に「終わってない」。私が向き合った、ポーランドでのアジア人差別

by Risa Sawahata | January 28, 2022 | VoicesAsia

皆さん、こんにちは。ドイツ在住日本人のリサです。

今回は私がポーランドへ旅行した際に受けた、人種差別の体験について書きたいと思います。

乱暴に投げつけられた、「アジア人」のレッテル

2021年9月、ポーランドを訪れた初日の出来事でした。

今回の目的地は、オシフィエンチムとヴロツワフという街。その旅のほんとうに初っぱな、最初の目的地であるオシフィエンチムで、私は人生で初めて自分がアジア人で、人種差別に晒される対象なのだと自覚させられることになったのです。

オシフィエンチムの街 / Photo by Risa Sawahata

*宿泊先に向かう最中、道を歩いていると、すれ違いざまにこんな言葉をかけられました。

「シンシャンション」。

*「シンシャンション」とは、アジアの言語を模倣・揶揄した差別用語で、地域によっては「チンチャンチョン」と言う人もいます。アジア人を侮辱するときによく使われる言葉です。(ちなみにドイツではこの「チンチャンチョン」が、日本で言う「じゃんけんぽん」の掛け声として使われているなど、いまだに首をかしげざるをえない面があるようです)

発言者は、なんと13歳くらいの少年でした。去り際に言われたこともあり、責め立てることもできず、その場に立ちつくしてしまいました。

現在、生活をしているミュンヘンでもあからさまな咳ばらいをされたり、空港のチケットカウンターで私が近づくなり突然「ここは閉まっているから近づかないで」と言われたりと、差別的な扱いを受けた経験は何度かありました。

でも、差別用語を直接言われるのは初めてでした。

ポーランドに来て早々、宿泊先のAirbnbに閉じこもる始末。人目が怖くて外出する気が失せてしまったんです。

マイノリティ性を指摘され、傷ついた自分の「グルグル」

発言をした少年は、きっと誰かの人種差別的な言動や思考に影響を受けた結果、他の人が言っていることを見て真似したのだと思います。13歳(仮)の子どもにとって、見ず知らずの他人に突然そういった言葉を投げつけることができる自分は、カッコ良く映ってしまうのでしょうか。(日本で言う「中二病」ですかね)

日本では、陰口を言う/言われることはあれど、相手が不快になる言葉を直接本人に投げかけることは*比較的*少ないと思うので、彼が「シンシャンション」という発言で、一体私に何をしたかったのか、まったく理解できませんでした。

アジア人を見つけたらそう言おうと決めて生きているのだろうか?

習慣?

彼のちょっとした楽しみなんだろうか。

彼の親はそういう”ジョーク”が好きなんだろうか?

と、グルグルグルグル。

出会い頭に知らない人に向かって「でーぶ」って言ってるような感じでしょうか?…いや、それ面白いのか?

なにより、「シンシャンション」という言葉自体には元々何の意味もないので、反応に困りますした。ただ単に「アジア人だ!」と言われて傷つくのは、それも差別ではないのか?気にしすぎているのは、もしかして自分だけ?

グルグルグルグル。

歴史は繰り返す。でもそれ以前に「終わっていないんだ」

ただひとつ理解できたのは、自分が侮辱されているということです。

そして何よりも悲しかったのは、そこがナチス ドイツ強制絶滅収容所の遺構から徒歩10分の場所だったということ。差別と、その帰結としての悲劇の歴史について学ぼうと思ってポーランドを訪ねた矢先、この出来事。自分も連続した差別のターゲットであるということを再認識しました。

強制収容所にて / Photo by Risa Sawahata

「歴史は繰り返す」とはよく言ったものだと思いますが、今回の経験を受けて私が感じたのは、「そもそも終わってないんだな」ということです。

こういった出来事が及ぼす精神的影響は、自分が思っているよりも意外と大きいようです。白人の友人に誘いを断られた時、「私がアジア人だからだろうか」という考えが頭をよぎってしまったことが何回かあります。「もしかしたら私と一緒に歩きたくないのだろうか?」という、完全なる被害妄想ですね。

でも、被害妄想かもしれないけど、全然ありえる話なんだろうな、と今回のような出来事があったことで思えてしまったんです。

「痛みを越えてでも…」わたしの想いは、片思いなのだろうか?

新型コロナウイルスの流行によって、世界中でアジア人への差別意識が露呈、正当化された今、「元々そんなに気にしていなかったけど、アジア人が差別されているのをみて、仲良くしたいとも思えなくなった」人々も、なんだか一定数いるように見えます。

まさに、いじめっ子といじめられっ子を取り囲む、「いじめないけど助けもしない」マジョリティの再生産です。

私は「痛みを乗り越えてでも世界中の人と交流したい!」という想いで欧州に住んでいますが、これは片思いなのでしょうか。たくさんの優しい人々に出会っても、差別する人々の方が間違っていると分かっていても、傷つくものは傷つきますよね。

Photo by Risa Sawahata

差別される側が声を出し続けなければいけない構造

こういうことがある度に、アジア人は怒りを露わにして、#stopasianhate を掲げて声を上げなくてはいけないのでしょうか。私たちは静かに、ただ平和に、暮らすことも許されませんか?

私はこれからもずっとアジア人。どこに住んでいてもアジア人。私は差別を受けながら、その差別根絶の責任まで負うべきなのでしょうか。

「なんで私ばっかり」。そう思いながらも、その少年に対し何も言えなかった自分に、嫌悪感と悔しさが募りました。この記事を書いたのは、そんな気持ちを覚えておこう、誰かに知ってもらおうと思ったからです。

マジョリティからは見えない世界を、つなげていくには

自分がマジョリティの一部であるときには、マイノリティの気持ちはおろか、存在にすら気付かないことがあると思います。

欧州に住むアジア人として私にできることは、ただ差別に悩み、凹む以外にも、たくさんあると思いました。

その一つが、私の経験を記事にまとめて発信することです。

このプラットフォームで私の記事を読んだ方々が、擬似体験として何かを感じ取り、ちょっとした話題として、友人間で話し合ってくれたら嬉しいなと思います。

強制収容所にて / Photo by Risa Sawahata
Risa Sawahata / 澤畑理紗
Risa Sawahata / 澤畑理紗

茨城県出身、日本女子大学文学部英文学科卒。2018年にカリフォルニア州立大学サンマルコス校へ留学。現在はドイツ・ミュンヘンにてワーキングホリデー中。趣味はテニスと旅行で、最近はプログラミングの勉強にちょこっと足を突っ込んだり、YouTubeチャンネル開設に向けても翻弄中。

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