歴史を学ぶ意味とは、理想の未来を現実に変える力を得ること。「21世紀における歴史の継承と挑戦」

Dr. Mirjam Zadoff, Director of NS-Dokumentationszentrum München | ©Orla Connolly

THE LEADS ASIAが2020/21冬に開催しているワークショップシリーズ「Conversation of Tangible Memories (“有形”記憶の対話)」。

第一回のワークショップ「When Urban Communication Meets Transnational Asia」に引き続き、第二回となる「21世紀における歴史の継承と挑戦」はNPO法人ホロコースト教育資料センターおよびゲーテ・インスティチュート東京とのコラボレーションにより、12月4日にウェビナー形式で開催されました。

ゲストスピーカーとして招かれたのは、ドイツ・ミュンヘンに位置するナチ・ドキュメントセンターのミリヤム・ザドフ館長。

ミリヤム・ザドフ館長(左)と通訳を務めたニコラス・シャウアーさん(右)

逐次通訳を通して日・英バイリンガルで行われた講演には、世界各地から合計164人の参加者が集まり、ドイツにおける戦後歴史継承の歩みや、現代における様々な挑戦や取り組みについてザドフ館長の実際の経験を含めたお話を共有しました。

福岡県の会場では有志の観客が集まり、十分な距離を保ちながらリアルタイムで鑑賞をしました。

ミリヤム・ザドフ館長
「21世紀における歴史の継承と挑戦」

ザドフ館長のお話はまず、ナチズム(国家社会主義)の歴史やミュンヘンという場所との関連性から始まりました。

ナチス主義の誕生とミュンヘン、「ブラウンハウス」

第一次世界大戦後の1920年代、ドイツ社会が直面していた政治的・経済的・外交的に危機的な状況が人々の間に混乱を広げる中、ミュンヘンでクーデターを試みたヒトラーは人々から大きな支持を得ました。

1933年にナチ党が権力を握った後、その中心地となったのはベルリンでした。それでも依然として、彼を独裁者にする過程で大きな貢献をした都市であると見なされたミュンヘンはナチ政治運動の「理想郷」としてのイメージを維持し続けました。

1945年の終戦後、ミュンヘンがかつて果たしていた役割や遺産についての記憶は忘れ去られ、だんだんと風化。しかし、戦時中にヒトラーがミュンヘンを世界で一番素晴らしい都市にしようと建てた大学や美術館、「ミュンヘン・ブラウンハウス」と呼ばれるナチの国家本部などの建造物は攻撃を受けずにその場に残っていました。

You can only love Germany with a broken heart.

– President Frank-Walter Steinmeier

結果として「ブラウンハウス」は取り壊され、市内の中心地に位置するにも関わらず長い間そこには新しく何かが作られることはありませんでした。90年代になって初めて、ミュンヘンの独自の歴史と向き合い、負の遺産を継承していくために跡地を有効利用するべきだという声が多くの個人から寄せられました。

この背景には「ナチズムにはごく少数の人が関わっていただけだ」という戦後の”神話”や、当時の関係者の多くが罪を問われることもなく終戦後も弁護士や政治家、科学者など重要な職について国の中心に居座り続けた構造、また迫害や虐殺の犠牲になった主体が具体的に誰なのか不明瞭にされている現実がありました。

ナチ・ドキュメントセンター設立と挑戦

ドイツには各地に過去の戦争犯罪や民族虐殺についての記憶を継承する博物館や記念碑、また収容所跡地などが多く設立されてきましたが、このナチ・ドキュメントセンターは5年前の2015年に初めて設立されました。

戦後史から見ると比較的に遅いように見受けられるこの動きはしかし、近年ヨーロッパ各地で起こっている移民排斥主義、極右台頭などの流れを見ると、既存の歴史資料館とは異なる文脈において大きな意義を担っているものだったと、ザドフ館長は振り返ります。

ナチ・ドキュメントセンター常設展の様子。
大きな窓の外には当時ヒトラーがミュンヘンを訪ねる際にオフィスとして使用していた建物が見られるようになっている。

ミュンヘン・ナチ・ドキュメントセンターの常設展は、ミュンヘンの「ナチス主義のゆりかご」としての独自の歴史にフォーカスした展示内容が公開されています。

展示に際しては5人の歴史家が携わり、入念な調査を経て歴史資料が選ばれました。この際、当時のナチ党員が使っていた実際の日用品や遺品などはあえて展示せず、写真やパネルを使った説明によって構成されています。

5年前の開館当時、ミュンヘン中の人や団体が常設展を観に訪れたものの、ある時期を過ぎると観光客や学校の社会科見学などだけが観客として足を運んでいる状況に気がついたと言います。

ミュンヘンの大人や若者たちはというと、資料館の重要性は認めつつも「もう十分に学んだこと」「自分たちには関係のないこと」「あまりヒトラーのことやナチズムのことを聞きたくない」と言った声が目立っていました。実際に話をしてみると、知識に乏しいにも関わらず知ったような気になっている大人もたくさん。

こうした状況に対処し、より多くのドイツ人たちにも足を運んでもらえるような資料館でいるにはどうしたら?ザドフ館長は考えました。

現代アートを歴史と結びつけた
特別展示「Tell me about yesterday tomorrow」

レバノンにおけるユダヤ人の記憶語り(左)と、北アフリカにおける植民地問題について取り扱った作品(右)。
自分には関係ないと思っていた場所や時代に引きつけて考えさせることを目的としている。

歴史を学ぶ価値とは、一体何なのか。

それは過去に何が起こったのかを知り、現在と結びつけることによってこれからの未来の姿を変えていくこと。どうしたら現代を生きる若者に当事者意識を持ってもらえるかーーこんな館長の想いから、特別展「Tell me about yesterday tomorrow」が2019年11月から1年間に渡って開催されました。

この企画展の中心になったメッセージは、米国黒人小説家ジェイムズ・ボールドウィンの「芸術の役割は、解答によって隠されてしまった質問を明らかにすることだ」という名言でした。

The purpose of art is to lay bare the questions that have been occluded by the answers.

– James Baldwin

40人の様々な国籍の現代アート作家による展示を通して、現代との関係性の中で歴史がどのように解釈できるのかを個々人に考えさせることを目的としています。

過去との向き合い方や記憶のあり方を、国際的な観点とドイツの観点の双方から示唆した展示を見た人が歴史の構造を読み解いて欲しいと思い構成しました。1階から7階まで、次の3つのカテゴリーを含む常設展の部分を含む建物のいたるところに50以上の作品が展示されています。

カテゴリー1:ナチス政権前後に作られた迫害を受けていた人たちによる作品

カテゴリー2:主にドイツの記憶継承題材として作られた作品

カテゴリー3:ドイツに限らず世界中で迫害を受けている少数民族やマイノリティ、また植民地主義などに焦点を当てた作品

現在のコンゴ共和国の様子と、ベルギーの植民地時代の様子を対照的に展示した作品。
トルコ移民二世アーティストによる「過去を予想したくなる」(左上)。
移民のバックグラウンドを持つ人たちはドイツの過去とどう向き合っていくのかを語りかけいる。
シカゴのアーティストによる構造的な人種差別の問題を浮き彫りにした作品(左上)と、ドイツで戦後最初に作られた迫害の祈念碑(右上)。

Q&Aセッション

講演の後には、ウェビナーの質問機能を使ってオーディエンスから募った質問を、ザドフ館長に聞く30分間のQ&Aセッションが行われました。

ウェビナー上で募った日本語・英語の質問をお聞きしました。

ーー日本の歴史資料館などでは当時の遺品や手記などをよく見かけますが、ナチ・ドキュメントセンターの常設展示ではなぜ遺品など実際の現物を使わずにパネルのみにしているのですか?

ザドフ館長: この決定がされた当時、私はまだ館長ではありませんでした。前の館長や歴史研究者たちで話し合われたのは、実際の物品(特にナチ関連のもの)を展示することがナチズムの神格化や崇拝、美化などに繋がってしまうという懸念でした。最近でもオークションなどでナチ党員の日用品が出品されると非常に高値で買い取られることがあります。

私はこの意思決定に色々な意味で同意をしていますが、同時に、実際の物品を展示することは、オーディエンスと歴史をつなぎ分かりやすく語りかけることができるとても重要な手がかりになるとも考えています。きちんとその物品に関する文脈の説明がなされ、またその持ち主に関する情報が明確に示されているなら遺品の現物展示もとても有用であると思います。

ーードイツはしばしば「歴史を振り返る優等生」だと言及されることもありますが、ドイツ国民にこのような姿勢を取らせた要因とは何だったのでしょうか?

ザドフ館長:様々な国が過去に植民地主義や虐殺という犯罪を犯しましたが、それらとは比べ物にならないほど大きなドイツの犯した戦争犯罪の規模やその種類が関係していると思います。意図的に戦争を起こし他国を巻き込み虐殺を行ったドイツの罪はもはや目を背けることができない規模のものでした。

ドイツの場合、国内で同じドイツ人同士が争い殺し合っていたという側面も大きいと思います。また、戦後においてこれまでのそういった歴史を清算しなければ他国との国交を正常化できず、逃げ道がなかったという外交の問題もありました。

またドイツでは歴史教育にもたくさんの投資がされ、戦後たくさんの努力が積み重ねられてきたことも事実です。

ーー「加害者・被害者」の枠組みを超越えて、これからの世代が「自分ごと」として対話を重ねていくには何が必要だと思いますか?また、その中で歴史館の担う役割は何だと思いますか?

ザドフ館長:まずは「白か黒か」で考えるのではなく、「グレーゾーン」の人たちに想いを馳せることも重要です。例えばその罪を犯したのは誰で、それ以外は関係ないというのではなく、一連の出来事を傍観していた人々の存在です。

また、犯罪者とされる人々を特別な悪魔のような「絶対悪」の存在としてとしてみなすのではなく、あくまでそれが誰しもの中にある一部分の特性であるという認識が必要です。

今までは語り部など実際に歴史を経験した人々の存在が重要でしたが、ナチスの創設から今年で100年目を迎える現在において、どのように歴史を継承していけるのかが争点になり、歴史博物館の役割も変化していくと思います。

アーティスト達は皆とても個人的な体験や感情を基に作品を制作するので、今回の展示では芸術という媒体を通じて、知識の積み重ねによる「理性の結びつき」だけではない「感情の結びつき」を実現することが出来ました。こうして芸術と学問の世界を結びつけることができるのも歴史博物館の大きな役割の一つだと考えています。

“Evil comes from a failure to think. It defies thought for as soon as thought tries to engage itself with evil and examine the premises and principles from which it originates, it is frustrated because it finds nothing there. That is the banality of evil.”

– Hannah Arendt

ーー作品の展示に際して、特定の団体や組織などから反対や抗議の動きなどはありましたか?(日本政府が反対する慰安婦像設置の例のように)

ザドフ館長:今回の展示に際してそのような抗議はありませんでした。私も慰安婦像の件を巡る論争はもちろん存じ上げていますし、今後「Tell me about yesterday tomorrow」に関する書籍を出版するにあたってもこの一件は言及するつもりです。

私たちが展示を始めた時、一部の現地新聞などでは「性質の全く異なるユダヤ人虐殺をそのほかの事件と同じ文脈で扱っていいのか」という趣旨の問題提起がされ、議論が繰り広げられました。今回の展示では比較するような内容でもありませんし、こういった指摘は当てはまらないと思います。ドイツ以外の国における問題にも視野を広げることが出来たのは、今回の企画展が成し遂げた一つの成果だったと思います。

今まで、過去の記憶というのは必ず国と結びついて考えられてきました。例えば従軍慰安婦の問題でも「日本かそれ以外か」という枠組みで語られることで対話が硬直してしまう側面もあったと思います。本来なら自由な民主主義であればあるほど歴史に対して様々な観点や発言が出現してくるものです。しかし「モデル民主主義国家」と言われてきたアメリカでさえ、奴隷制度についての言及が長らくタブーだったのが現状です。

こうして国家と結びつく歴史観を超越した「トランスナショナル(超国家的)な記憶」を育んでいくことが重要だと思います。その過程で、ぜひ日本や外国の博物館や歴史資料館とのコラボレーションを通じて挑戦していけたらと思っています。

ーー実際に展示に足を運んでもらうのも大事ですが、新型ウイルスの感染が拡大し移動が制限される中では難しいと思います。どのように対処されてますか?

ザドフ館長:今年は我々も3月中旬〜5月まで休館を余儀なくされ、11月初旬から再び休館命令が出ました。スポーツジムなどとは違う感染対策が出来ている博物館は異議を唱えていますが、デジタル技術を活用した展示への移行も推し進められています。

実は今現在、ミュンヘンの強制労働が過去に行われていた場所における展示の構想の最中なのですが、これには3年間かかる予定なのでその間に見てもらえるような展示をデジタルで進めています。ここで使っているのがアーティストと共同で作り上げるAR(拡張現実)の技術で、今後アプリとして開発し一般の人々にも見てもらえる予定です。また、歴史関連のコンピューターゲームを開発しているチームとも連携を深めています。

今回様々なことを試行錯誤し学ぶことが出来ている様々な技術を、再び開館できた時に活用し展示として再利用することも出来ると思います。今日のようなウェビナーも以前なら実現を考えもしなかったことだったので、そういった面では非常に嬉しい変化でした。

コロナが収束したらぜひ日本へ行き、様々なコラボレーションや対話が出来たらと思っています。

ディスカッション

ここでワークショップ自体は終了となりましたが、その後有志で行われたZoomのディスカッションセッションには学生を中心に30名ほどが集まり、講演の感想や疑問点などを共有し合いました。

参加した学生の皆さんから届いた感想をいくつかご紹介します。

ナチ・ドキュメントセンターによって私の中の歴史資料館のイメージが覆された。まず建物の建築が“資料館”と聞いて想像するようなお堅い見た目ではなく、自然光を取り入れたお洒落なアートギャラリーのような見た目で、これが現代と共に歩む歴史資料館の形かと印象深かった。展示の主題である、過去の出来事と今の自分がどのようにつながっているかという問いは、日本の戦争責任を現代の私たちがどこまで負うべきかを考える際にも関わる重要な視点である。当時の出来事を正しく忠実に伝える・知ることも大切だが、今とリンクさせるためには、ナチスの歴史にとどまらず現代のマイノリティ差別や記憶などを表す作品を置くことで、実は過去から引き続く人間の根底意識を問うことを可能にしていると思う。過去の悲惨な出来事は「特別な悪魔」によるものではなく、行動を起こした主体もそれを受け入れた社会もすべて人間だったことを意識することが大事だと感じた。

「モノを介した表現は対話を引き起こす」という言葉が大変印象的でした。確かに慰安婦像というモノを巡る論争には、モノを介して様々な立場の人々の価値観が交差し、可視化されるという側面があると感じているからです。その上で、モノとして表象することで受け継がれる記憶もあれば、消される声もあるという指摘に、見えやすい受け継がれたものだけでなく、消された声やその声が消された意図を考察することが不可欠なのではないかと考えました。また、ドイツのコロナ禍における都市封鎖へのデモには、作品というモノを通して、当時のナチスに迫害されていたホロコーストの犠牲者と、コロナ禍で都市封鎖された現代の市民を重ね合わせるという価値観を見出せるという話は、大変印象的でした。世界には多様な価値観があるがゆえに誤解が生じてしまうことは多々あると思いますが、その誤解を解消し、平和への架け橋を担う可能性がアートといったモノを通した考察と対話にあるのではないかと感じます。その上で韓国アイドルの原爆Tシャツ問題に象徴されるように、表現されたモノを使用することにおいては、そのモノがどのような価値観を表現していると様々な立場の人に受け取られるかという想像力も不可欠だと思います。全体を通して、モノを吟味し、またモノに限らず言葉を吟味することで、相手を慮ったコミュニケーションと対話を出来るような人になりたいと感じました。

ナチ・ドキュメントセンターの特別展で実践されていた、歴史を見る目と芸術を見る目を結びつけるという取り組みは、戦争という言葉だけで離れていってしまう層の人々を取り込むという点で画期的だと感じました。また、芸術の内容の多くが少数民族や移民、人種の問題であったという点は、他国にある犠牲を見て自国の歴史を再考するというきっかけを形成しているため、自分の国が持つ加害の歴史や負の歴史に背を向けてしまいがちな私たち人間の性質をうまく理解しているなと思います。お話の中にあった「ドイツは好きだが、broken heartな部分もある」というドイツ大統領の発言からも、この特別展のような自国を客観視する取り組みがドイツでは積極的に行われているということを理解できたと同時に、私がこれまで受けてきた教育の中では圧倒的に日本の被害の面を学ぶことが多かったため、日本では「加害者としての日本」というイメージを育成するという考えはあまり重視されていないと実感しました。

ドイツ人は歴史を振り返る優等生といったイメージがあったが、彼らがそうなったのはそれ相応の努力があったからだと知った。日本の南京大虐殺や慰安婦問題のように、ドイツでもホロコーストを否定するような動きがあった。またナチスによる行為を直視できない人もたくさんいた。歴史を風化させないためにも、彼らに歴史を直視させる様々な努力が行われてきたことは日本も見習う部分があるのではと思う。公の場に芸術作品が置かれているといのは非常に印象的だった。これも歴史を直視させるための工夫なのではないか。戦争を体験した世代が高齢化していって、加えてコロナの影響で、戦争の当時の状況を直接聞くことはほとんど完全にできなくなった。これを機に、今の子供達にどのように生の歴史を伝えられるかを考えるべきだと思う。未来のことを考えるために、過去を振り返ってみる。その機会を人々にどのように与えるかが課題になると思う。

“モノ”を通じて歴史を「観」て、「触」って、「聴」いて考えるとき、果たして私たちの未来にはどんな景色が見えてくるのでしょうか。

「理性の結びつき」だけでも、「感情の結びつき」だけでもない”自分ごと”の捉え方って、一体どういうこと?

国家や地域の枠組みを超えて語り継がれる共通の”記憶”のカタチとは、一体どのように作りあげることが可能なのか?

決して正解が一つではないこれらの問題を、それぞれがそれぞれのやり方で少しでも考える手がかりになれば幸いです。

*THE LEADS ASIAは「Conversation of Tangible Memories」と題した4回にわたるワークショップシリーズを開催しており、次回の開催は2021年1月末を予定しています。
皆さまの参加を心よりお待ちしております。

講演の模様はこちらから(NPO法人ホロコースト教育資料センター公式YouTubeより)

今回のワークショップ開催にあたり、多大なるご支援をいただきましたNPO法人ホロコースト教育資料センターの皆さまならびにその他関係者の皆さま、そして参加者の皆さまに心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

THE LEADS ASIA一同

(編集・文:神山かおり)

Translate »
%d bloggers like this: