現代社会の「余白」にこそ、芸術と倫理を。世界的指揮者ジェイソン・ライが考える学びのあり方

2020年7月29日 | Expert Interview

  オンライン教育の是非が問われる昨今。そもそも、大量の労働力を生み出すために産業革命時代に確立された統一型・詰め込み型教育は、現代社会にとって本当に必要なのか?コミュニティ形成など学校の社会福祉的な役割は、デイケアセンターとはどう違う?子どもたちの自己実現に本当に要されるサポートとは?様々な疑問が浮かんできます。

  このモヤモヤをぶつけるために、英国出身の音楽家、ジェイソン・ライさんにインタビューしました。ヨーロッパやアジアの楽団を中心に指揮者として活躍する傍ら、BBCの国際的なTVプログラムにも出演し垣根を超えて精力的に活動。ライフコーチとしての資格も有し、悩める人々の声を聴き導く活動もしています。

   オックスフォード大学卒業生、ユース音楽家コンクールチャンピオン、世界をまたにかける指揮者としてのキャリア…一見、順風満帆な人生を送ってきたように見えるマエストロ。

 「『知恵は共有しないと腐っていく』という言葉がありますが、本当にそうだと思います。このようなインタビューでは私の少しの知恵でも共有できるので嬉しいです。」そんな謙虚な彼が語ったのは、意外な過去でした。

「苦い経験」があってこそ、
目標のその先へ到達できる

幼少期はあくまで「普通の子ども」でした。同級生の大半と同じように、何を目指していいのかわからなかった。でも、10歳で音楽に出会ったことが転機になりました。始めた時にすぐ「人生でやりたいことはこれだ」と直感的に思いました。

   音楽専門高校で過ごした3年間は最高の時間でした。幼少期はイギリスで人種差別で傷つくこともありましたが、その学校は生徒のバックグラウンドは一切関係なく、純粋に演奏のスキルで選抜した生徒に音楽家として必要な能力をつけさせ、全力でサポートする素晴らしい学校でした。

   反対に、進学先のオックスフォード大学で過ごした4年間は、なかなか思っていたようにはいきませんでした。大学のせいではなく、自分のせい。環境にあまり馴染めず、インポスター症候群に再びかかってしまったのです。これは小学校時代のあるエピソードが影響して、今に至るまでずっと残っています。

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 6歳で小学校一年生になったときは、みんな平等でした。2年目からはランク付けが始まり、私は頭のいい子や能力のあるとされた子たちが集まる最上クラスで学ぶことになりました。正直、ちょっと誇らしかった。でもその一年後、一つ下のBクラスへ格下げされてしまったんです。

 両親宛てに送られてきた学校からの手紙を一生懸命読んだのを今でも覚えています。なぜ格下げされなくてはならなかったのか。そこには「ジェイソンは少し自信が足りません。Bクラスで様々なスキルを身につける必要があると判断しました。」と書いてありました。恥ずかしくて、情けなくて。自分は不十分な人間だと感じました。

 4年目もBクラスのまま。でも新学期を前に、自分に言い聞かせたのを覚えています。「もしBクラスにいるなら、Bクラスで一番になって、周りの人を助けよう」と。

 それからはわざと毎回誰よりも先に課題を終わらせて、他の子たちの手助けをするようになりました。早く終えようとすると間違いばかりしてしまうのであまり良いことではなかったかも知れませんが。

   この経験があったからこそ、私は自分の存在意義や能力を世界に認めてもらおうとして必死に誰よりもひたむきに頑張ってこられたのかも知れません。このような想い出があると、人は「成功者で、知的で魅力的になりたい」などの目標を超えて、もう少し先まで自分を追い込むことができるんじゃないかな、と思います。

両親から教わった倫理観、
成績のためではない探究心の大切さ

「教育は将来の成功への鍵だ」と多くの人は言うかもしれません。
でも私は、むしろ教育とは自分自身をよりよく理解し、世界との交流を始めるための鍵だと考えています。数学と英語を学ぶことだけが将来の成功につながるというのは、実はとても視野の狭い考えです。

  私たちは皆それぞれ異なる才能や強みを持っているし、教育にはあらゆる形が可能であるべきです。年齢で決めた特定の基準をすべての人に求めることは、時に人を破壊することもある。素晴らしい学校とは個性や能力、情熱を最大限に尊重し伸ばしてあげられる学校のことだと思います。

    チベットの指導者ダライ・ラマは、倫理や道徳こそ学校教育で重点的に教えられるべきであると説いています。現代の社会では、目標達成やゴールへの到達、「何者になるか」の方が道徳面における成熟度よりも大切であるかのように語られる傾向にあると感じます。『外の世界は弱肉強食の危険なジャングルだ、強くならなければ人生に失敗する』という子どもへのメッセージは、私はあまり健全だと思いません。

 低年齢の子どもに必要なのは物事をのびのび探求する能力と、それを安心してできる心理的なセーフ・スペース(安心領域)を確保してあげることだと思います。もし仮に、両親から「成績を上げろ」と常に脅されて育てば、自由な探索は出来っこありません。そうなると子どもたちは学習ロボットのようなもので、事実を並べ替えるためだけに勉強をすることになる。これでは実際には何も学んでいないのと同然です。

  子ども時代、両親の影響を強く受けて育ちました。英語すらあまり知らないまま香港からイギリスへ移住した両親は、私たちを育てるために毎日身を粉にして働いていました。知り合いも親族もおらず言葉や文化も分からない中でゼロから何かを作り上げることがどれほど大変なことなのか、想像も出来ません。

 自分たちの苦労の経験からか、両親はいつも困っている人を率先して助けていました。彼らの謙虚に努力を続ける姿勢と倫理観を、私は今まで忘れたことはありません。

 もし学校を再編するとしたら、まず最初に成績制度を廃止します。それか、全員に無条件でAをあげる。そうすれば、自分がなぜ最高評価に値するのか考えて行動するようになるでしょう。また年齢に固定的ではなく、一人一人のペースにあった学びをできるようにする。そして、数学や英語を学ぶのと同じように、道徳の教育に力を入れたいです。

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芸術は現実世界と心をつなぐ「人生の詩」

今年7月、シンガポールで「社会で最も必要とされていない仕事」に関する調査結果が発表されました。そこでは7割近くの人が「芸術家が最も不必要な仕事である」と回答したという衝撃的な結果に。でも、世界中が先の読めない不安な日々を余儀なくされる中で、人々は読書をしたり、映画を見たり、音楽を楽しんだりしていますよね。これらは、全て芸術です。こうした「ステイホーム期間」の人々の行動は、芸術への過小評価に疑問を投げかけるものだと感じます。

    芸術や文化の本質的な役割は、心や感性を養うこと。 合理性や権力、お金への飢えが蔓延るこの世界で、私達は人生で大切なことが何なのかを忘れてしまいがちです。
子どもを養わなければならないし、ガス代や水道代のために毎日働く必要がある。
でも、そんな多忙な日々を過ごした中で残るものとは何でしょうか?私は、その人生の「余白」を埋められるのは文化や芸術を通じた感動体験だと考えています。

 私自身、今まで詩という芸術をあまり好んだことはありませんでした。でも最近になって、その美しさや重要性を理解できるようになりました。詩は、世の中で上手く言い表わすことのできない思いや感情を的確に表現することができる。たった一行で、世界中を動かすことだってできるのが詩です。

 同じように芸術や文化とは、目に見えない、あるいは多忙な生活の中で人が見ようとしていない世界の側面を見せてくれる、人生の詩だと思うのです。

   小さな頃、読み聞かせが大好きでした。子どもはお話を聞くと、自分がその場所にいるかのように想像を膨らませます。想像力は権力やお金、締め切り、株主を喜ばせることだけを考える現実世界と理想の世界とのギャップを埋める、大切な能力です。

 だからこそ、倫理と道徳に加えて芸術教育が大切なのだと思っています。

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自分の存在自体が価値であることを
簡単に忘れてしまう世界だから

様々な種類があるコーチングですが、私はディベロプメントコーチングインテグラルコーチングを行なっています。答えを与えて解決策を提示しようとするものではなく、セッションを通じて、相談者が自分自身を深く見つめ、問題の根底に何があるのかを見極めることを促すのがコーチングです。多くの場合、相談者の問題はアドバイスをして改善するようなものではなく、もっと奥深く根を張っている。

     表出している問題というのは、あくまで氷山の一角に過ぎません。例えば、仕事で昇進できないことに不満を感じている相談者がいるとしましょう。会話を重ねるうちに、実はその人が本当に欲しているのは昇進そのものではなく、自分の成功を世界に示すことにあると判るかもしれない。では、なぜこの必要性を感じるのかをご本人に探ってもらいます。このセッションのゴールは決して「昇進を諦めよう」という結論に達することではなく、自分が感じている感情の正体や理由を深く知ることで、自分の意志に自分で納得することにあるのです。

   このようなコーチングは、とてもやりがいがあります。相手に質問する時、自分自身に対しても今までの感情や失敗などを問いかけることになるので、より深く物事を考えられるようになるからです。

     相談者の前に座って話を聞くのは、特別な時間です。悲劇的な話もあれば、感動的な話もある。でもそれぞれの話に独自の価値があるし、その人自身の価値が反映されている話をしてもらえる瞬間は、本当に光栄だと感じます。

 人は自分の価値がどのように世界を助けているのかや、自分が価値そのものであることをすごく忘れやすい。この盲点に気づかせてあげる存在がコーチだと思っています。  

リーダーに必要なのは、
好奇心を持って耳を傾けること。

聴くことの持つ力を見くびってはいけません。指揮をする上でも、コーチングをする上でも同じです。オーケストラは聴衆だけでなく指揮者にも耳を傾けられていると感じると「自分たちは理解されている」と思い、より一層素晴らしい演奏をしてくれます。

 演奏方法をマスターしたプロたちなので、必要なのは鼓舞してくれる存在だけなんです。何をすべきか逐一教える必要はありません。きちんと聴くことは、指揮者として信頼関係を築くためのもっとも大事な要素だと思っています。

    オーケストラは世界の縮図です。誰もが異なる考えや価値観を持つ世界の中で、リーダーとしてすべての人を満足させることはできない。一人の音楽家が何かを要求しているその瞬間に、別の音楽家は逆を要求する。だから最終的にリーダーは決断しなければなりません。でも、最善の決断をするために最低限できることは「聴く」ことです。心を開き、好奇心を持って、誠心誠意相手の意見を聴く。 

     同様に、コーチをする際も聴くことの力を実感します。きちんと誰かに耳を傾けてもらったことがない相談者は、自分の話を聴いてもらうという体験だけで深く感動します。一見単純な行為に見えることが、実は人々を癒す力も持っているのです。

    自分にとってすごくすごく困難で、他の誰にも話したことがないような内容を相談者が話してくれるとき、しばらくお互いに何も言えない時があります。そんな時できるのは、彼らの心に浮かんでいる想いを全て表現できるまで静かに待って、じっと耳を傾けることです。

いつも初心で、心を込めて真摯に向き合う。それが一番の学び 

メンター(助言者)は成長の過程で欠かせない存在です。でも残念なことに若い頃の私は、メンターが必要だと認められなかった。自分の純粋な好奇心で始めた探索がいつしか、「自分は誰から指導されなくてもやっていける」とエゴやナルシシズムを甘やかす主体になってしまっていたのです。

 私は長い間、鈴木のいう「専門家の心」を持っているふりをすることで、自分で自分の可能性を狭めてしまっていた気がします。

 初心者の心には多くの可能性があります。
しかし専門家といわれる人の心には、それはほとんどありません。

鈴木俊隆著「禅マインド ビギナーズ・マインド」プロローグより

   メンターはいなかったけれど、コリン・デイヴィスなどの知恵に満ちた素晴らしい指揮者から「ソウル・アドバイス(真に迫る助言)」を受けました。

   コリン・デイヴィスは本当に素晴らしく、温かい人でした。彼が音楽を学んだ50~60年代、指揮の世界では「私がいうことは絶対だ」という音楽の全体主義的なアプローチが主流でした。例に漏れずそのように振る舞っていたその頃の自分を思い出すと恐ろしい、と語っていた彼の姿は印象的でした。

 ある時、ある一小節をどう指揮するかと彼に聞かれ、私は必死にオーケストラの『リーダー』になろうと堅苦しい動きをしました。すると「どうしてそんなに忙しくするんだね、もっと彼らを信じて、委ねなさい」と言われた。私はこのアドバイスに対する自分の一言を今でも覚えています。「あなたはコリン・デイヴィスだからどうやっても上手くいくかもしれない。でも私には私のやり方があります。」彼は驚いたように私を見て、それ以上何も言いませんでした。何年も後になってから彼の真意に気づき、それがどれだけ正しいアドバイスだったのかを理解しました。

   彼は私に、音楽の本質を教えようとしていたんだと思います。オーケストラに任せた指揮で素晴らしい演奏ができるのはコリン・デイヴィスの名が世界中に知られているからなどではなくて、彼がその場で生まれる音楽に集中しているから。見せかけの「リーダー」ではない、誠実さ。それこそが一番重要だったんです。

 どんな分野でも、本を読んだり誰かに教わったことを道具として使うだけでは本当の意味で学びとることはできません。自分のやっていることに心を込めて向き合うだけでなく、メンターからのアドバイスに耳を傾けて、現実を受け入れること。

 従うべき決まりと自分の感性との「余白」を埋めて自分のものにすれば、必ず道は開けると思います。

ジェイソン・ライ|英国出身。ヨーロッパとアジアを拠点に指揮者、ライフコーチ、プレゼンター、スピーカーとして活躍している。オックスフォード大学、ギルドホール音楽演劇学校を卒業後、2002年から2005年までBBCフィルハーモニー管弦楽団のアシスタント指揮者を務めた。イギリスや香港、日本などで数々の楽団を指揮し、現在はシンガポール国立大学音楽院の音楽院管弦楽団の首席指揮者を務める。

取材:林仁陽、佐々木彩乃  文: 神山かおり

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